『細胞内共生説の謎』を読んだ

研究に教育に、一般向けの本の執筆にと大活躍の佐藤直樹先生の最新作は、葉緑体の細胞内共生について、その研究の歴史と最新成果をまとめた本。

 

 

「最新作」とか言いましたけど、すみません私佐藤直樹先生の本全部読んでるわけじゃないです・・・ていうかみすず書房『生物科学の歴史』は買ったけどまだ読んでなくて、通して読んだのは裳華房の教科書『植物生理学』くらいです・・・。あと、なんならそれほど個人的にお付き合いがあるわけじゃないです・・・。もちろん接点はたくさんあるんだけど、なんとなく怖いイメージなので(私自身が底の浅いへぼサイエンティストなので佐藤先生のような)ちゃんとお話させていただいたことはない気がする・・・。

 

まあそういう個人的なことはそれはそれとして本のレビュー。細胞内共生説と言えば一般的にはリン・マーギュリスが初めて提唱した説で、この生物学に大きな転換をもたらした説はこんにち一般的に彼女一人の業績ということで認められているが、それは正しいのか?史実はどうなのか?ということについて、マーギュリスの原本、そしてマーギュリスの議論の元になったメレシコフスキーの原著論文(ロシア語!)、メレシコフスキーと同時期に細胞内共生説を唱えていた科学者の原著論文にあたって歴史を検証していくのが第一部。私も「細胞内共生説と言えばマーギュリス」だと思っていたし、かつマーギュリスがその細胞内共生説を唱えた主要な著書『細胞の共生進化』(邦訳されているが絶版になっていて中古でのみ購入可)は名前は知っているけどちゃんと読んだことはないというへぼサイエンティストなので、この本がターゲットとしているどんぴしゃの読者だと思われる。

 

第一部の結論を言ってしまうと、細胞内共生説はマーギュリスが独自に確立した仮説ではなく、最初にその説を唱えたのはメレシコフスキーで、当時(メレシコフスキーの人柄も相まって)異端ではあったもののかなり広く知られていた説であり、マーギュリスの役割はその説をまとめ当時の地球科学分野の最新成果とも照らし合わせ、また自身の見解も含めて世の中に流布した、ということに尽きる。また現在は、細胞内共生といえば葉緑体ミトコンドリアだが、マーギュリスが独自の仮説として打ち出したのは葉緑体ミトコンドリアの共生ではなく、有糸分裂を行う上での基盤構造となるスピロヘータの共生であり、それ自体はのちに間違いであることが明らかになっている。一方でマーギュリスは後年、細胞内共生説の提唱が全て自分の功績であるかのように振る舞い、周りもそのように彼女を評価しているが、それは大きな間違いである・・・ということになる。

 

まあその結論は本書を読めば十分納得が行くのだが、しかしそれでも、佐藤先生、マーギュリスに厳しすぎでは・・・?と思われるところが多々あり。佐藤先生も認めているように、当時の夫カール・セーガンの協力があったとは言え、学位を取得したばかりの「弱冠29歳のマーギュリス」(p108)が細胞の出現から真核生物の登場に至るまでの歴史を描き出してみせた(マーギュリスの主著『細胞進化の共生説』ではなくその前の『真核細胞の起源』)のは驚くべきことだし、若く才能を持つ女性を応援する当時の重鎮たちに後押しされたことはもちろん大きかったとは思うけれど、それでも「強烈なリーダーシップで細胞内共生説を確立した」のは称賛に値する。のだが、下の文章はちょっと行き過ぎでは・・・。

 

おそらく、当時の多くのまともな生物学者たちが、この若い女性研究者に魅了されて、その説をなんとか証明してあげたいと考えたように見える。STAP騒動とも似た状況だったのかもしれない。(p126)

 

もちろん「若く才能を持つ女性を応援する重鎮」がSTAP細胞事件を想起させるのはわかりますけどね、でもマーギュリスは別に不正をしたわけじゃないですしね・・・。まあ、本作の文中に触れられているように、マーギュリスの論文には「メレシコフスキー」の綴の間違いや引用スタイルの間違いなど、かなり初歩的なミスがたくさんあるらしく、またデータもなしに推論を述べていたり細かく検証していくと議論にかなり間違いや意味不明の点があったりもするそうで、細かく論文を読んでいくとそういうところが気になって「こいつは研究者としてダメだ」となってしまうんだろうな・・・その気持ちはわかるな・・・。

 

ところでこの第一部の内容は原著論文としても発表されていて、それがこの論文。

 

www.sciencedirect.com

 

そのうち読みます。

 

進んで第二部では、現在の科学において細胞内共生はどのように説明されるのかが、佐藤先生ご自身の研究を含め最新の研究成果をもとに解説される。メインになるのは葉緑体内を構成する脂質の生合成経路の話。脂質生合成経路に関わる酵素の遺伝子配列を用いた系統樹を詳細に解説しながら、葉緑体の共生が、現在の教科書に書かれているようなシアノバクテリアのただ一度の共生とその共生したシアノバクテリアから宿主の細胞核へのDNAの移動というような単純なプロセスを経て起きたものではなく、同時に多数の遺伝子が導入されたことが述べられる。議論は未だに決着が着いておらず、まだまだ研究途上と言う状態で、結論らしきものは特になく、読み終えてすっきりということにはならないのだが、そういう終わり方にしたところがいかにも(私が思う)佐藤先生らしいというか、研究者かくあるべしという感じでにやにやしてしまった。

 

佐藤先生の研究者としての姿勢は文章スタイルにも現れていて、本書を読んでまず思ったのが「文章が簡潔」。この本の前にニック・レーンを読んでいたので更に強くそう感じたのだと思うが、さまざまな修辞や比喩を駆使して悪く言えばだらだら文章が続くニック・レーンのスタイルとは全く違って、必要なことだけを簡潔に・順序立てて書く佐藤先生の文章スタイルはすごく「学術論文」ぽい。東大出版会ならでは、という気もする。

 

ところでこの前の東京出張でお会いした東大新領域の馳澤先生によると、佐藤先生も馳澤先生と同様、今年度いっぱいで退職なさるらしい。もうそんなお年でしたか・・・。しかし退職を控えてますます研究活動も活発な佐藤先生、今後の著作も楽しみにしております。ていうかまずは『生物科学の歴史』読みます・・・。