『死なない生徒殺人事件』『小説家の作り方』を読んだ

野崎まどの『2』を読む前に五部作を読もうシリーズ第二弾。実際には『[映]アムリタ』の次は『舞面真面とお面の女』なのだが、生協で注文したところ最初に届いたのがこちらの『死なない生徒』と『小説家の作り方』だったので先に読んでしまう。

 

死なない生徒殺人事件―識別組子とさまよえる不死 (メディアワークス文庫)

死なない生徒殺人事件―識別組子とさまよえる不死 (メディアワークス文庫)

 
小説家の作り方 (メディアワークス文庫)

小説家の作り方 (メディアワークス文庫)

 

 

『死なない生徒殺人事件』は、幼稚園から高等学校まで、大学以外の教育機関を揃えた名門私立女学校の生物教員となった主人公が、「この学校には死なない生徒がいる」という伝説を聞く。友達ができず、学校に馴染めないという転校生の悩み相談に乗るうち、なぜかその「死なない生徒」の話になり、その会話の途中に職員室に入ってきた女生徒は「自分がその死なない生徒だ」と名乗る。しかしその「死なない生徒」は後日学内で死体で発見された。「死なない生徒」とは何なのか?自分が「死なない生徒だ」と言ったのは、単なる彼女の妄想だったのか・・・?

 

一方の『小説家の作り方』は、まだ駆け出しの作家である主人公が、ファンである少女から「私の頭の中には”この世で一番面白い小説”のアイデアがあるが、私はそれを小説に書き起こすことができない。私に小説の書き方を教えて欲しい」という依頼を受け、少女に「小説の書き方」を教えることになる。絶世の美少女でありながら5万冊の本をこれまでに読んできたと言い、膨大な量の知識を持ちながらも箱入り娘で世の中のことを知らないこの少女の正体は・・・?

 

『小説家の作り方』は、ミステリー・ノベル改め「ノベルス・ミステリー」なのだそうだ(SF的要素もあるので、このブログではSFとミステリ、両方のカテゴリーに入れている)。その違いはよくわからないのだけれど、登場人物同士の会話が非常に戯画化されていて、これがラノベというものなのだろうか?そもそもライトノベルの定義とは・・・?とちょっとググってみたけれど、小説とライトノベルの間に明確な線引があるわけではなく、最も簡単な定義としては「ラノベレーベルから出ている本」ということらしい。

 

しかし基本としては、最初に提示された謎が最後に明らかにされるミステリ仕立ての小説で、かつ、一見無関係に見えた途中のさまざまなエピソードが実はつながっていたことが明らかになる。それと同時に、世界が一気にぐるんとひっくり返されたような、戯画化された世界の裏側に隠れていた闇の世界を見せられたような、ある種の恐怖さえ覚える。それが全体としての野崎まどの作風で、だからして導入部以上のあらすじを公に語ることは許されない。『死なない生徒』なんかも、あの小説のアイデアに似てるな、とか、「・・・」とは・・・とか、いろんなことを考えてしまうテーマなのだが、その感想すらもネタバレにつながってしまうから書けないのだよな・・・。

 

ところで私、ここまで3冊の野崎まど作品を読んできたわけだけれども、最後の謎解き部分に入る前に、いつも一回小説を閉じて一息ついたり他のことをして一回頭を切り替える、という行動を取ることに気がついた。意識的にやっているわけではないのだが、野崎まどの小説を読むときは毎回そうなのだ。戯画化された読みやすい文章でつるつる読み進めてしまうのだが、その調子で野崎まどの世界にはまり込んでそのまま最後まで突っ切ってしまうといきなり現れる闇に飲み込まれそうになるから、あえて一度その世界から抜け出ようとしているのかもしれない。それくらいパワフルな小説だ。