『少年は残酷な弓を射る』を読んだ

SF、ミステリ以外の小説を久しぶりに読んだ。

 

少年は残酷な弓を射る 上

少年は残酷な弓を射る 上

 
少年は残酷な弓を射る 下

少年は残酷な弓を射る 下

 

 

数年前原作が映画化された際に、主人公の母親をティルダ・スウィントンが演じるというニュースを見て、なんとなく気になっていたんですよね。

 

少年は残酷な弓を射る [DVD]

少年は残酷な弓を射る [DVD]

 

映画のあらすじを読んで楽しい面白い本でないのはわかっていたし、読み進めるのがつらくなるだろうし疲れるだろうなとも思っていた。でも図書館で見かけて手に取ったら装丁がとても美しくてやっぱり気になって、しばらくは見かけるたびに「そのうち読もう 」と思いつつ結局は手に取らないということを繰り返していたのだが、とうとう「今読もう」と決意した次第。

 

で、内容なのだが、コロンバイン高校銃乱射事件、バージニア工科大学銃乱射事件などの若者による大量殺人事件を題材として書かれたフィクションで、主人公のエヴァ・カチャドリアンは、15歳で大量殺人を引き起こしたケヴィンの母親という設定。ちなみに原題は"We need to talk about Kevin"で、そのタイトルの通り、エヴァが夫フランクリンに当てる手紙の中で息子ケヴィンのことを語るという書簡体の形式を取っている。ケヴィンが大量殺人を引き起こしたこと、エヴァが現在一人暮らしであり、周囲の敵意にさらされつつも、ケヴィンが収容されている少年院に近いという理由から事件前と同じ地域で生活していること、面会日には欠かさずケヴィンに会いに言っていることが早い段階で明かされる。そして、フランクリンに一方的に語りかける一連の手紙の中でエヴァは、現在のケヴィンの状況について報告するとともに、フランクリンとの出会い、子供を持とうと決意したきっかけ、そしてケヴィンが生まれてから事件が起きるまでのさまざまな出来事を、丹念に記述し分析することによって、なぜケヴィンがあのような事件を引き起こしたのかを解き明かそうとする。

 

「息子が大量殺人を引き起こす」という情報が最初の段階で与えられているだけに、物語は最初から不穏で緊張感に満ちているのだが、生まれてきたケヴィンはもうとにかくすべての親の悪夢を凝集したような子供で、生まれてすぐにお乳を飲ませようとするエヴァを拒絶し、これみよがしに泣きわめいてエヴァを困らせる。ベビーシッターを雇っても、皆1日2日と持たずに辞めていく。5歳になってもおむつが取れず、エヴァはケヴィンのおむつ替えに一日に何度も学校に通う羽目になる。そして何より、全てのケヴィンの行動が理解不能な悪意に満ちていて、読者はその行き着く先を知っているだけに、読み進めるに従ってケヴィンの悪意ある行動がどんどんエスカレートしていくのではという不安と恐怖を強めることになる。

 

さらにこの物語の語り手であるエヴァの逃げ場を奪っているのが、善良で少々愚鈍なアメリカ人として描かれている夫フランクリンの存在だ(ちなみにエヴァアルメニア系)。ケヴィンはフランクリンの前では良い子を装い、昼間は手がつけられないほど泣きわめいてもフランクリンが帰ってくると泣き止んで良い子になる。長じてからのケヴィンは、エヴァには常に口答えするが、フランクリンの前では良い子を演じる。ケヴィンの悪意はエヴァだけでなく、学校の同級生や隣人たちにも向けられて、周囲の多くの人たちもケヴィンの悪魔的な性質に気づき警戒するようになるわけだけれど、善良なアメリカ人フランクリンはあくまでも自分の子供を信じよう、良い親であろうと思うあまり、頭がよく口がまわるケヴィンに丸め込まれる。そしてケヴィンの悪意を指摘するエヴァを「君はそれでも母親なのか」と責めるのだ。

 

いやー、つらい。こう書いていてもつらいのだが、読んでいてもやはりとてもつらかった。回想の中のエヴァは将来の悲劇を知るよしもなく、度重なるケヴィンの悪意ある振る舞いに裏切られて半ば諦めつつも、まさか殺人を犯すまでの悪魔的な人間であるとは露とも思わずケヴィンを育てていくのだが、結末を知らされている読者は、この手紙を書いているエヴァとともに、何がいけなかったのだろう、育て方がいけなかったのだろうか、そうだとしたらどこで間違えたのだろうと考えながらこの物語を読み進める。

 

また、上述のようにこの物語は夫フランクリンにあてた手紙という形態を取っているのだが、じゃあエヴァが手紙を書いている現在、夫フランクリンはどこでどうしているのかは一切触れられない。上巻の最後ではケヴィンの妹シーリアが生まれるのだが、シーリアがどうしているのかもわからない。それらの謎は謎として残されたまま物語が進んでゆき、その謎が、どんどん狭まっていって抜け道のない袋小路に追い込まれていくようなつらい物語展開の中、読者を最後まで引っ張っていく。

  

ではなぜケヴィンはわずか15歳という若さで大量殺人という恐ろしい事件を引き起こしたのか?それについての答えは最後まで本書の中では与えられないし、明確な答えもないのだろう。主人公エヴァは、ティルダ・スウィントンが演じたことからもわかるように、非常に理知的理性的な女性で、文中では悪意に満ちた行動を続けるケヴィンに対する嫌悪をあらわにする。それゆえあとがきによると、本書が発表された際の読者の反応は、「邪悪に生まれついた子供の犯罪を阻止するのは無理だ」というものと「母親の冷淡さが息子を犯罪者にした」というもののまっぷたつに別れたそうだ。確かにケヴィンが生まれた直後のエヴァの反応は、冷淡な母親がケヴィンを邪悪にしたのかもしれないと感じさせるに足るものだし、それは作者の仕掛けでもあるのだろう。私自身は、生まれつき邪悪な性質を持つ人というのは確かにいて、そのような悪意に出会ってしまったら、全力で逃げるしかないのだと思っている。しかしエヴァはそのような悪意の母親であるがゆえに逃げることができない。それゆえにこの物語は逃げ場がない。

 

でも逃げ場のない物語は、いきなり意外なほど静謐で穏やかな終わりを迎える。もっと後味の悪い小説だろうと思っていただけに本当に意外だったのだが、だからと言ってハッピーエンドにはなりえない物語なだけに安易なハッピーエンドではなく、戦いの果てに疲れ切って迎える結末はきっとこんな感じなのだろうという説得力に満ちている。ちなみに私はそこだけ何度も読み直しては、読み直すたびに泣きそうになった。途中あまりにつらくて怖くて一語一語を追うことができず、最低限ストーリーを追うことができる程度に読み飛ばしてしまったりしたところもあったが、最後はやっぱり読んで良かったなと思ったのだった。