『お茶をどうぞ』を読んだ

生協の本売り場で見かけて購入。

 

 

向田邦子さんのエッセイに初めて出会ったのは小学校高学年の頃だった。母が持っていた文庫本の『無名仮名人名簿』とか『夜中の薔薇』とか『眠る盃』とか『霊長類ヒト科動物図鑑』とか、何度も繰り返し読んだ。大人になってからは、『男どき女どき』とか『思い出トランプ』とかの小説、それから雑誌や料理本なんかの向田邦子関連書籍も見かけるたびに買って読んだ。猫好きだったところ、おしゃれやお料理も大好きだったところ、絵画や骨董品を集めてらしたところなど、仕事だけじゃなくて生活そのものを楽しんでいらしたところが好きで、私にとって(そしておそらく私の年代以上の多くの女性にとって)理想の女性の一人。

 

そういうわけでこの本も、見かけてすぐ購入した。2016年に単行本として刊行された本の文庫化で、テレビや誌上での向田邦子の対談を集めたもの。長年、ラジオやテレビの脚本家として活躍してきた向田さんだけあって、対談の相手は、黒柳徹子森繁久彌小林亜星阿久悠和田勉久世光彦など、恐ろしく豪華。そして対談中の話しぶりからして、向田さんがこれらの方々と普段から親しく付き合っていらしたことがわかる。

 

しかし向田さん、まだまだ女性の社会進出が遅れていた時代にばりばり仕事をして、脚本家として名をなした後作家に転身して直木賞も受賞して、ほんとすごい人なのだが、この対談を読んでいると「男は・・・女は・・・」というフレーズがかなり頻繁に出てきて、そういう時代だったんだなあ・・・と思わされる。例えば森繁久彌との対談中の以下の会話。

 

森繁 (・・・)若い時代にほのぼの好きだったという女性には会わないほうがいいですね。(・・・)

向田 そうでしょうね。大体、同じ齢だったら男の勝ちですね。なぜでしょう。

森繁 やはり齢をとると、きれいにならないね。言い方はよくないけれど。

向田 これは本当にならない。女は齢に関しては不利ですね。(p50)

 

それから小林亜星との会話。

 

亜星 (・・・)男が書く家庭っていうのは、なんか観念的でね。

向田 でも、やっぱり男性のほうが巨視的っていうか、大きいんじゃないかしら。(p74)

 

年齢に関しては、向田さんは晩年50歳くらいの頃の写真を見てもとてもおきれいだし、男性だって齢をとって若い頃と大きく変わって「昔はかっこよかったのに・・・」という人はたくさんいるし、齢を取ってきれいにならないかどうかは男性・女性というより個人差がすごく大きい気がするが、昔は、女は家庭に入って子供を持ったらおしゃれなんてする暇もなくする必要もない、みたいな圧力もあったのかもしれないな。今、齢をとってきれいな女性が増えているのは、そういう圧力がなくなってきたせいなのかもしれない。また、男性のほうが巨視的で女性のほうが細かいところに目が向く、という話は昔からよく聞くけれど、真偽のほどは定かでない。おそらく、家庭に閉じ込められていた女性と、社会に出て働いていた男性との立場の違いでしかないのではと私は思っている。

 

上の引用以外にも、女性を下において男性を立てるという向田さんの姿勢はこの対談週では随所に見られる。子供の頃からそういうものだと教育され、男性をたてないと女性が社会で働くことすらできないような、そんな時代だったんだろうなあ・・・と読んでいて少し苦しくなった。

 

一方で、向田さんの美学とか、仕事をする上での向田さんなりの工夫なんかも随所に盛り込まれているので、向田ファンとしてはやっぱり買わざるを得ない本ではある。どこに書いてあったか忘れたけれど、ドラマの脚本を書くときに、みんないっしょにご飯を食べるような、実時間と同じ時間の流れで進むようなシーンをどこかに入れておくと、他のところで時間を飛ばしても見ているほうは違和感がない、という脚本のテクニックに関する話は非常に興味深かった。しかし、原由美子さんとの対談で出てきた、「ローレン・バコールよりもマリリン・モンローになりたかった」という向田さんの談はかなり意外だったな。