『複雑さを科学する』『<あいまいさ>を科学する』を読んだ

先日亡くなられた米沢富美子先生の著書。

 

複雑さを科学する (岩波科学ライブラリー)

複雑さを科学する (岩波科学ライブラリー)

 
「あいまいさ」を科学する (双書時代のカルテ)

「あいまいさ」を科学する (双書時代のカルテ)

 

 

米沢先生が書かれた猿橋先生の伝記を読んで、米沢先生ご自身はどんな研究をなさっていたのか知りたくなり、で、とりあえず一般向けのこの二冊を、と図書館で借りて読んだ。

 

『複雑さを科学する』はそのタイトルの通り、「複雑系」の研究分野の紹介。一方『<あいまいさ>を科学する』は、「複雑系」に加えて「あいまいなもの」を科学的に研究するとはどういうことかについて紹介した本で、前半部はファジィ理論についての概説、後半は『複雑さを科学する』とかなりかぶった内容になっている。

 

二冊とも100ページ程度の一般書で、本書を読めば「複雑系」がどんなことを研究する分野なのか、「ファジィ理論」とはどういうものかがなんとなくわかったような気になる・・・のだが、一方で、「一般向けのわかりやすさ」を追求するあまり、研究分野の概観解説に終始している感があったのがちょっと残念。実際にその分野でどういう研究が行われているのかについて具体的なことが書かれていないので、「なんなくわかったような気がする」で終わってしまった(いや、読みやすくてさらさら読んでしまったのであんまり頭に残っていないだけで、改めて読み込めばちゃんと書いてあったのかもしれない・・・)。

 

特に『<あいまいさ>を科学する』は、上にも書いた通り、「前半ファジィ理論、後半複雑系」という感じで、焦点が少しボケている気がしてしまった。理論物理の方だから、多分相当に解説しにくい難しい研究をなさっているのだろうけれど、やっぱりこういう科学系の一般書では、その著者自身の具体的な研究の話を入れるべきじゃないかな・・・と言うのが、この二冊を読んで一番強く感じたことかな。

 

私の持論として、「初心者向けのセミナーや講義をするときは、講演者の人柄が垣間見えるようなエピソードを少し入れると、聞くほうはその講演者を通して講演内容とつながりを感じることができて理解が進む(ような気になる)」というのがあるんだけど、本でも同じことだと思うんですよね。「自分は具体的にこういうことに興味があって、こういう研究をやっている」という内容を含めることによって、読み手は著者の個性に触れることができるし、その研究分野についてもうちょっと踏み込んだ内容を知ることもできる。そしてその著者の研究内容紹介という核ができることによって、概説する各章が有機的なつながりを持ってくるというか。そういう意味で、頁数の限られた一般書であるとしても、米沢先生ご自身の研究内容について、ちょっとだけ踏み込んで紹介していただきたかったな・・・。

 

米沢先生がどういう研究をなさっていたかはこっちで読むか。

 

日経サイエンス2019年4月号

日経サイエンス2019年4月号