『破滅の王』を読んだ

先日徘徊していた本屋で見つけ、作家名と帯のあらすじに惹かれて購入。直感通り面白くて一気に読んだ。

 

破滅の王

破滅の王

 

 

「上田早夕里」の名前は、2016年の日本SF傑作選に収録されていた『プテロス』で初めて知った。地球外惑星に住む生物を研究している科学者の話だったのだけれど、そこで描かれていた研究者像にとても共感するものがあり、また、理性的で硬質だけれど、感情に流されまいとぎりぎりのところで踏みとどまっているような温かさも感じる文章もとても好みで、気になっていた作家だった。

 

『プテロス』が未来の空想の世界を描いた物語だったのに対して、本書『破滅の王』の舞台は第二次世界大戦中の上海。私は歴史に詳しくないのでよくわからないのだけど、主人公の勤務先(上海自然科学研究所)が実在していたこと(Wikipediaの「東方文化事業」の項に記述有り)、巻末の主要参考文献リストの充実ぶり、そして物語の中の緻密な記述を見ても、おそらくこの物語のかなりの部分が史実に基づいて構築されているのだろうと予想がつく。

 

また、本書の核となっているのが「細菌を食べる細菌で、治療法皆無の細菌兵器」である非実在のビブリオ菌「キング」なのだが、補注によると「細菌を食べる細菌」自体は1962年にドイツの植物病理学者によって報告されているそうだ。物語では、毒性を持たない元の細菌に、さまざまな方法によって変異を導入して、兵器として開発していく過程が描かれているのだが、その方法というのがまた「戦時下ならそんなことも起こり得たかもしれない」というリアリティに満ちている。そして、そのリアリティが、この物語の骨格を強度の高いものにしている。

 

一方で、リアリティを追求した結果、最後はすっきり全部解決してカタルシスが味わえる・・・というわけには行かず、それが第159回直木賞の候補となりつつも受賞を逃してしまった原因なのかも・・・と思ってしまった(ちなみにこの年、直木賞を受賞したのは島本理生さんの『ファースト・ラヴ』という作品で、レビューなどを読む限りこちらは読み終わったあとすっきり感が味わえそうな小説)。しかし、リアリティを追求すれば確かにこういう終わり方にならざるを得ないだろうな、とも思うし、一般受けではなく自分の信念を貫いてこのような終わり方にしたところ、作家の上田早夕里も主人公の宮本と同様、理想主義の人なのかもしれないな。

 

・・・と、これまでが一般論的としての本書の感想。一方科学者の端くれとしての感想は、ずばり「科学者はみんなこの本を読むべき!」。「戦時下において科学者はどうあるべきか」ということを真正面から問うていて、とても考えさせられるのだ。科学者の倫理を問う作品ということでは、遠藤周作の『海と毒薬』と並ぶんじゃないだろうか・・・って私『海と毒薬』読んだことないんですけど。今度読みます・・・。

 

上海自然科学研究所の連合年会の記録に残されていた「科学者の目標は真理の探求であり、真理は国家を超えるものであるからです」という言葉にいたく共感する主人公宮本は、科学者として、そして人間として正しいと思うことを貫こうとする、理想主義の人間だ。けれども、国と国とが対立している非常事態において、自分の理想を貫こうとする人間は抑圧される。物語を読みながら、「国の利益を優先させるため」と称して人道に背かざるを得ない状況に置かれたとき、科学者はどうするべきか、自分だったらどうするか、宮本のように自分の正義を貫くことができるのか、とずっと考えていた。もちろん、「国の利益を優先させるためと称して人道に背かざるを得ない状況」になんて一生置かれないことを祈るのだけれど、でも将来どうなるかわからないしね・・・。

 

ところで『プテロス』のときも思ったのだけれど、この作者、どうしてこんなに科学者の心理に詳しいんでしょうね。上にも書いた「科学者の目標は真理の探求であり、真理は国家を超えるものであるからです」とか、科学者の端くれとして心に刺さる言葉がたくさん出てくるし、科学者としての宮本の行動パターンも「わかるわかる」と心の中でがくがくうなずきつつ読んでいた。上田早夕里さん、元は科学研究者で、それから作家に転身なさった方なのか?と思って調べたのだが、ウィキペディアにはそれらしいことは書いておらず。

 

ja.wikipedia.org

 

科学者であるかどうかには関係なく、社会の中で科学とはこうあるべきだという理想像、そしてそういう理想を追い求めたいという姿勢が近いということなのかもしれない。