『新版 論文の教室 レポートから卒論まで』『理科系の作文技術』『文章の書き方』を読んだ

しばらくブログ放置。最近読書量もかなり落ちているのだよなあ・・・。とは言えこのブログは自分にとって備忘録的な役割を果たすものなので、読んだ本は記録をつけていきたい。

 

この記事も一ヶ月ほど前に書き始めて、あともう少しというところで放置していた。「レポートの書き方」関係の本を一気に三冊。

 

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

 

 

戸田山さんと言えば、昨年『科学哲学の冒険』を読んだのだけれど、こちらは感想文を書けるほど自分の中で消化できておらず、そのまま放置しているのであった。あれはもう一度読まねば・・・。

 

こちらの『論文の教室』、内容としては「論文書きの準備段階からまとめまで、論文書きのすべてをこれ一冊で解説!」という感じ。まあ私が読んでいないだけで、この『論文の教室』の巻末で紹介されている参考図書だけを見ても、「論文・レポートの書き方」的な本は割と多く世の中に出回っているみたいなのだけれど、その中でも本書の特徴は、まず人文系の論文書きを対象としているところかな。また、準備段階の1ステップとして、「論証はどうやって立てるのか」という説明にかなりのスペースが割かれているのも、クリティカル・シンキングの研究者としての戸田山さんの個性が出ているところなんじゃないだろうか。・・・まあ、上にも書いた通り、この手の本を網羅的に読んでいるわけではないので自信を持って断言はできないんだけど。

 

形式としては、『科学哲学の冒険』と同様、本書『論文の教室』も「大学の先生と学生さんとの対話形式」で、冗談まじりの軽い文体で書かれている。これは、とにかく学生さんに読みやすく、気軽に手にとってもらいたいということなのかな。文献の検索法や、引用文献の記載法、論文の体裁を整える方法など、論文を書く上で知っておくべきさまざまな事柄が網羅されていて、上に「人文系の論文書きを対象としている」と書いたけど、もちろん理系の科学論文を書く上でもとても参考になる。

 

一方、大学教員としての立場で「大学の先生と学生さんとの対話形式」のこの本を読むと、つい「こんなに頭の回転が速くてきっちりレスポンスしてくれる学生さん、めったにいないよ!なんかダメダメ学生みたいに書かれてるけど、これ実際にいたらめちゃくちゃ優秀だから!」という感想を抱いてしまって、ちょっとフラストレーションがたまるんだよな・・・。それから上にも書いた通り、本書は「文章を書くことがとくに好きではなく、むしろ苦手な学生」(p10)を対象としていて、全編かなりくだけた冗談まじりの軽い文章で書かれているんだけど、「文章を書くことがとくに好きではなく、むしろ苦手な学生」が、このB6版300ページの、本を読まない学生さんにとってはおそらくまあまあ分量のある本を読むかなあ、とも思ったり。やっぱり気軽に手に取れるのは新書サイズではないかしら・・・。

 

で、新書版の「論文の書き方」決定版と言えばこちらの本。

 

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

 

 

『論文の教室』巻末に、戸田山さんお薦めの図書が何冊か掲載されていて、その筆頭として挙げられていたのがこの『理科系の作文技術』だった。そう言えばこの本、実家の本棚に置きっぱなしだったなあ、と思い出し、帰省したときに持ち帰ってきた。

 

で、読み始めたのだが、すぐに「この本すごい・・・!」と震撼。これまでに私が論文を書きつつ自力で学んできたことが、すべてこの一冊に凝集されているんですよ・・・!!なんてことだ。実家から持ち帰ったこの本、最後のページに鉛筆で「350」と書かれているところから見ると、どうやら古本屋で350円で購入したらしいのだけれど、古本の割にはきれいな本で、ページをめくった痕跡もなく、これ絶対買ったけど読んでなかったやつだな・・・。いやー、なんで読んでなかったんだろ。読んでいたらこれまでに書いた論文ももう少しましなものになっていただろうと思うと、過去の自分に往復びんたを食らわせたい。

 

タイトルからもわかるように、本書は理系の学生・若手研究者が、論文・報告書を書くときの文章書きのテクニック指南に焦点を当てている。「理系の文章を書くテクニック」が新書一冊に凝集されていることももちろんすごいのだが、この本のすごいところはもう二つあって、その一つが簡潔にして要を得た文章の切れ。この本では、理系の文章を書くときの心得として、

 

(a)主題について述べるべき事実と意見を十分に精選し、

(b)それらを、事実と意見とを峻別しながら、順序よく、明快・簡潔に記述する(p6)

 

の二点が挙げられているのだが、この本の文章自体が、まさにこの心得を体現したものなのだ。一文一文はわかりやすくてするする頭に入ってくるのだが、同時に、「不要なことばは一語でも削ろうと努力するうちに、言いたいことが明確に浮き彫りになってくる」(p9)という姿勢で書かれた文章からは、この文章を書くために費やされた時間の長さ、思索の分厚さがダイレクトに伝わって来て、そうそう簡単には読み飛ばせない迫力に満ち溢れている。

 

もう一つのすごいところは、「文章のテクニック」に焦点を当てているにもかかわらず、それがそのまま著者の人生論になっているところ。それが一番明確に出ているのが第6章の「はっきり言い切る姿勢」なんだけど、この章からは、学者としての、また人間としての著者の厳格な姿勢が感じ取られて、読んでいてめちゃくちゃ感動してしまった。例えば下の文章。

 

本書の対象である理科系の仕事の文書は、がんらい心情的要素をふくまず、政治的考慮とも無縁でもっぱら明快を旨とすべきものである。(p96)

 

「政治的考慮とも無縁」って書ききってしまうところ、すごくないですか?でも研究者って、学者って本来そうあるべきでしょ。それが今は、同じ分野内の研究者でグループを作って馴れ合って、それでお互いいいところに論文通しましょうねとか、そのグループに入ってないといいジャーナルには論文は通らないとか、そんなの間違ってるでしょ。・・・ってまあこれは私が最近経験したり考えてもやもやしていたことなんだけど、それがこの本を読んで晴れるような気がしたのだった。

 

理科系の文章の特徴を「読者につたえるべき内容が事実(状況をふくむ)と意見(判断や予測をふくむ)にかぎられていて、心情的要素をふくまないこと」(p5)とし、実際その規律に沿ってこの本は書かれているわけなんだけど、それでもついつい垣間見えてしまう著者の心情にもまた感動した。例えばこれ。

 

ほんとうはデアロウ、ト考エラレルと含みを残した書き方をしたいのである。これは私のなかの日本的共用が抵抗するので、招魂において私がまごうかたなく日本人であり、日本的感性を骨まで刻み込まれていることの証拠であろう。(p94)

 

これ、「私は、むきつけな言い方を避けて飽きてが察してくれることを期待する日本語のもの言いの美しさを愛する」(p96)と書かれたあとの文章なんですよね。こういう、自己を厳しく律している「学究の徒」的な人から、隠そうとしてもどうしても隠しきれず少しだけにじみ出てしまう弱さって、めちゃくちゃ萌えるな・・・と、自分の萌えポイントを再発見した本でもありました。木下先生、一生ついていきます!って、2014年に亡くなってるんですけどね・・・。

 

最後にこの本。

 

文章の書き方 (岩波新書)

文章の書き方 (岩波新書)

 

 

実家の本棚で『理科系の作文技術』の隣にあった(やはり読んだ形跡はなし・・・)ので、一緒に持ち帰って読んでみた・・・のだが、こっちは全然だめでした・・・。昔ながらの「文は人なり」という精神論に、多くの逸話、本の引用をまぶしただけ。この著者は元朝日新聞記者なんだけど、逸話や引用で議論をデコる方法、すごく「朝日新聞記者」って感じだな・・・まあ偏見なんですけど。

 

最後まで読んだら少しは役に立つことが書いてあるのかも・・・と我慢してなんとか読み通したのだが、そして実際、最後の章に「文章は短く」などの実際のテクニックが少し出ては来たのだが、まあ私的には時間の無駄でしたね・・・。途中、「メモはコンピューターなどに残すよりも手書きのほうがよい」的なアナログ発言がドヤ顔で出てくるのも、「文は人なり」の精神論と合わせて旧時代人の発想という感じ。まあでも精神論が好きな中堅・若手の人も根強くいるし、そういう人には好まれそうな本であるな。