『女性学・男性学 ジェンダー論入門』を読んだ

男女共同参画について体系的に学ぼうシリーズ。

 

女性学・男性学 改訂版 -- ジェンダー論入門 (有斐閣アルマ)

女性学・男性学 改訂版 -- ジェンダー論入門 (有斐閣アルマ)

 

 

私が読んだのは大学図書館で借りたこちらの「改訂版」なんだけど、今アマゾンで調べたら第3版も出ているのね。いや、買いますよ第3版。生協の本屋さんにもあったし、なによりめちゃくちゃいい本でした。

 

前回感想文を書いた『LEAN IN』が、社会学的なデータを交えつつも、基本は作者シェリル・サンドバーグさんの経験を軸として書かれた本だったのに対し、こちらの『女性学・男性学』は、「ジェンダー論」という学問について体系的に記した本。ジェンダーとはそもそもなにか、から始まって、教育・恋愛・労働・家族・育児・国際化など、さまざまな観点からデータに基づいて「男女の格差」「ジェンダー」が論じられている。文章も明快でめちゃくちゃ勉強になったし、なにより筆者の熱意がいたるところに感じられて感動した。

 

最初の「はしがき」によると、著者の伊藤公雄先生(2011年に出版された改訂版では「京都大学教授」となっているけれど、今調べたら京大も退職なさって今は京都産業大学で教授をなさっているよう)が、一部の章はもうひとりの著者である國信潤子先生(ちょっとググってみても現在情報なし・・・)のアイデア、データを取り入れて、ほぼ単独で書き上げられたのがこの本で、もうひとり著者として名前を連ねている樹村みのりさんは、章の間に挟まれた漫画を担当していらっしゃる。ひょえ、伊藤先生の奥さんは大阪府立大でジェンダーの研究をなさっていた方なのか・・・。

 

www.human.osakafu-u.ac.jp

 

そういうつながりがあるから、図書館にも初版・改訂版あわせて何冊か並んでいたり、生協書籍部にも並んでいたりしたのかな。

 

上にも書いたとおり、文章のいたるところから執筆者の熱意が感じられて、これは買って線を引きつつ読まねば・・・と思わされたのだったが、特に最終章、第9章の「男女共同参画社会の見取り図」は、著者の信念、メッセージが強く込められていて熱い。たとえばこの文章。

こういうと、「自分らしく生きなさいということですか。でも、自分らしくなんて言われてもどう生きたらいいかわからない」などという声が出ることもある。言うまでもないことだが、「自分らしさ」を固定的にとらえる必要は少しもない。むしろ「生き方にモデルなどない」というのがジェンダーから解放された生き方だろう。自分なりの判断で、自分の生きたいような生活スタイルを選択したらいいのだ。他者との関係に配慮し、周囲の人との風通しのいいコミュニケーションを通じて、自分の生き方を決めていったらいい。それが「自分らしく」生きるということだろう。 (p298-299)

 それからこちらも。

問題なのは、固定的な家族というイメージにとらわれ、家族という形式にこだわるのではなく、いかに「家族をする」かを問うことだろう。家族の絆は、形式の押しつけや強制では作り出せない。相互の思いやりだけではなく、ときには相互のケンカも含む深いコミュニケーションのなかで、つねに生成し更新されていくべきものだろう。

 「家族の絆の破壊」を説く人たちの多くは、この絆が、いつも作られ・更新されていくものだという発想がどうも欠如しているようだ。「絆」は固定的なものではない。相互の関係のなかでつねに作り出されていくものなのだ。(p310-311)

この文章、夫婦別姓に反対している人たちにぜひ読んでもらいたいよ!

 

それからこの本を読んで、改めて強く感じたのは、現在の男性優位社会というのは、すべての男性にとって有利なのではなく、ほんの一部の強者である男性にとってのみ有利な社会なのだよなということ。

男性は、悲しみや恐怖感などの「弱さ」をみせるような感情表現を禁止され、業績や強者の証明を、他者に対してもまた他者を通じて自分に対してもつねに要求されるようになる。(p6)

弱さの感情表現を禁止されて抑圧された結果、鬱屈が爆発してより弱い立場の人間に暴力(痴漢などの性的な暴力も含む)をふるうのだろうな・・・。でも他者に暴力をふるって、それで一時的にすっきりするのかもしれないけど、それは飽くまでも一時的な問題解決でしかない。問題の根本解決、抑圧の排除を目指すには、多様性を認めて、一部の強者だけでなく、すべての人が生きやすい社会つくりを目指すしかないのだよな。で、その「多様性を認めてすべての人が生きやすい社会をつくる」ことを目的としているのが男女共同参画の活動なのだよな・・・ということを、改めて感じた本でした。