『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』を読んだ

マツコの知らない世界」やNHKの番組にも出演し、これからますますのご活躍が期待される武蔵大学准教授北村紗衣先生のご著書。ツイッターで話題になっていたのが気になって、東京に帰省したときに丸善で探して買った。

 

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

 

 

この本を読んで気づいたのだが、本やら漫画やらゲームやらに対する私の「好き」「嫌い」の判断には、ジェンダーの扱いが政治的に正しいかどうかというのが一つの大きな基準になっていたんだな。そしてこれまでジェンダーが政治的に正しく扱われていない本や漫画を読んで、嫌な思いをしたり違和感を覚えたときに、その違和感を押さえつけて我慢していたんだな。さらに、違和感を覚えたり嫌な思いになったとき、その気持を押さえつけたり我慢したりする必要は実は全然なくて、その作品に対する自分の低評価も決して間違ったものではなかったのだな。

 

例えば私、このブログでも何回か書いているように、グレッグ・イーガンSF小説がとても好きなのだが、ジェンダーという視点で見てみると、イーガンの小説には非常に優秀な女性研究者、技術者がよく出てくるんですよね。ついこの前読んだ『宇宙消失』でも、主人公の警備員ニックに対して量子力学の講釈をするのは中国人女性の錘玻蔡(チュン・ポークウイ)だったし、『順列都市』で人工宇宙、オートヴァース構築の鍵となる系を発見したのはソフトウェア・デザイナーのマリア。ただ優秀なだけじゃなくて、みんな強くて自立していて、主要男性キャラクターと対等な関係を築いている。間違っても、ちょっと前のハリウッド映画によく出てきた女性キャラクターのように、男性の冒険に勝手についてきて邪魔をするようなことはしない。そういえばテッド・チャンの『あなたの人生の物語』もジェフ・ヴァンダミアのサザーン・リーチシリーズも女性研究者が主人公だったし、アンディ・ウィアーの『火星の人』は女性が船長だったな・・・。

 

上に挙げたSF小説はいずれも最近書かれたものだけれど、一方、傑作と言われている古典作品を読んで違和感を覚えるという経験は、そう言われてみればこれまでにも多々あった。本書でも紹介されている『素晴らしき新世界』もそうだったし、私が最近読んだ中ではハーラン・エリスンがひどかった。「女は一発殴っておけば言うことを聞く」という、完全に前時代的(と言いつつ今の日本社会にもまだまだ根強く残っている)マッチョな思想が全体を貫いていて、特に『世界の中心で愛を叫んだけもの』に収録されている「少年と犬」には吐き気がした・・・。

 

 

「少年と犬」を読んだあとにエリスン絶賛の解説を読んで、「それが正当なものの見方なのかな・・・」とげんなりしたのだったが、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』を読んだ今では、「正当な見方」なんてない、エリスンを読んで気分が悪くなった私の感覚、感想は間違っていないんだと自信を持って言える。価値観は人それぞれなのだから、感想、批評もいろいろあっていいはずなんですよね。

 

これまで好きだと思って接してきた作品の中で、ジェンダーの扱いの正しさがその作品を好きな理由の一つだと気づいたものをもう少し挙げてみる。ゲームだとドラクエ、特に3以降は、キャラクターが男女どちらかから選ぶことができて、しかもみんな平等に戦っている。漫画なら『ゴールデンカムイ』は暴力性は結構高いのだけれど、ジェンダーや民族の扱いが非常に政治的に正しくてとても安心して読める。特に杉本のアシパさんに対する敬意の払い方はとても好き。一巻で、白石がアシパさんのこと、アイヌのことを見下すような発言をするシーンがあるんだけど、それに対して「私は気にしない」「慣れてる」と言ったアシパさんに対し杉本が心の中で「慣れる必要がどこにある」と叫ぶところ、名シーンですよね。「最新刊の杉本とアシパさんとの再会は本当に感動的だったな・・・。

 

 

キロランケが久しぶりに再会したソフィアを見て「めちゃくちゃいい女になったな」って言うところもいいよね。って、なんだか自分の好きなものを語るだけのコーナーになってしまったけれど、「自分が好きなものを好きな理由」が一つ明らかになったことによって「自分が好きなもの」の共通性が見えて来て、あれもこれもという感じで語りたくなってしまうんだよな。

 

ところでこの『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』、サブタイトルに「不真面目な批評家」ってあるんだけど、これは本を売るために戦略的につけた言葉なのかな。私は特にこの本が不真面目だとは感じなかったのだけれど・・・(「爆誕」とかの言葉の使い方は面白いなと思ったけど)。「批評」とか「フェミニズム」という言葉を見て、「なんか難しそう」とか「怖そう」とバリアをはられてしまうのを避けるためなのかな?まあ確かに私も、以前はフェミニズムに対して距離を取っていたなあ・・・。でもちょっとだけかじった今は、フェミニズム男女共同参画の活動は決して女性のためだけのものではなくて、「多様な人々がみんな心地よく暮らせる社会を築く」ということがその本質だと理解している。マッチョな価値観に違和感を抱いている人は男性でもたくさんいるはずで、その違和感は押さえつけなくていいんだよ、人それぞれの自由な見方があっていいんだよというのがこの本のメッセージだと私は理解しました。とりあえずバーレスク観てみたい。