『謎のアジア納豆』を読んだ

昨年本屋で見つけて買っておいた高野秀行さんの本をやっと読んだ。

西南シルクロードの旅やアヘン栽培をめぐるミャンマー奥地での滞在取材中に、日本の納豆によく似た食べ物に出会ったことを発端として、アジア納豆の調査を開始する高野さん。最初は「家族旅行のついで」という割とゆるい感じから調査が始まるんだけれど、さまざまな地域の納豆やその製法を知るにつれ、高野さんが加速度的に納豆にはまっていくのが面白い。テーマが「納豆」というとなんか地味な印象を受けるけれど、旅先でのいろんな出会い、多くの発見、そしてなにより高野さんの絶妙な文章に、読みながら何度も驚いたり笑ったりした。そして、納豆の起源に関する調査と考察、実地実験の末にたどり着いた結論には驚愕の一言・・・。

 

本書内で、高野さんは学生時代の探検部の先輩で今はフリーのディレクターをやっている竹村さんと一緒に、竹村さんの実家で納豆を自作する「納豆合宿」をする。で、それについて高野さんは、学生時代も先輩と二人で遊んでいて、30年経った今でもこんなことをして遊んでいる・・・「俺たちに進歩という概念はないのか」と嘆くんだけど、いやいや、やっていることは遊びに見えても、そこから生まれるアジア文化、歴史についての考察は、西南シルクロードでの旅、ブータンミャンマーでの滞在経験を経ていろいろ見聞きしたことをもとに考えてきた高野さんならではのもの。十分に成長している、というか、引用文献つきで納豆の起源について考察する最後の章なんか読むと、探検家・文化人類学者としての円熟味がすごいんだよね・・・。学術的にも非常に重要な発見を多々含んでいる本書なのだけれど、それを誰でも楽しめる一般書で発表しているというのもほんとにすごい。

 

そして今回この本を読みながら感じたのは、高野さんてほんと、いわゆる社会の仕組みの外で生きている人なんだなあ、ということ。私もこの歳まで社会で働いてきて、それなりの地位も得てみると、日本てすごく男性中心・強者中心の排他的な社会なんだなあと改めて思わざるを得ないんだよね。そしてそういう男性中心・強者中心の社会では、いかに他人よりも自分が上回っているか、ということが非常に重要である(これは最近読んだグレイソン・ペリーの『男らしさの終焉』に書いてあって、個人的にすごく腑に落ちたこと)。

 

男らしさの終焉

男らしさの終焉

 

 

で、そういう社会の枠の中で生きている人(私も含め)は、自分を大きく見せたり他人にマウントをとることで自分の優位性を示すという行動がもう習性のようになっていて、意識しなくても端々でそういう態度が垣間見えてしまって、それが周りの人からは攻撃的に見えたりもするんだけど、高野さんの著作の文章からは微塵もそういう気配が感じられないんだよなあ。自虐キャラとして文章中で意識的にそういう書き方をしているというのもあるのかもしれないけど、ネパールの空港で若い女性に声をかけられたり、その女性の友達の家に行ったら幼児が膝に登ってきたりというエピソードを読むと、やっぱり普段から競争心や攻撃心がほとんどなくて他人に警戒を抱かせない人なんだろうなあと思う。そしてそういう高野さんの文章を読んでいると、なんだかすごくほっとするんだよな。

 

高野さんの魅力も全開だし、ちょいちょい出てくる高野さんの愛犬・国際納豆犬のマドちゃんの可愛さも堪能できる本でしたね・・・。昨年出てた単行本『幻のアフリカ納豆を追え!』も注文して購入しました。読むのが楽しみだ!