『耳鼻削ぎの日本史』を読んだ

明治大学教授で日本中世史の専門家である清水さんの著書。以前本屋で見かけて買ったのかな?高野秀行さんとの読書談義は二冊とも読んでいるのだけれど、清水さんご自身の著書を読むのは初めて。

 

耳鼻削ぎの日本史 (文春学藝ライブラリー)

耳鼻削ぎの日本史 (文春学藝ライブラリー)

 

 

「耳・鼻を削ぐ」って、今の感覚だと「酸鼻を極める」という言葉を使いたくなってしまうほど残虐かつ野蛮な行為のように感じるんだけど、実は中世日本から江戸時代半ばまで、割と一般的な刑罰として執行されていたらしい。また戦国時代には、刑罰としての執行に加え、討ち取った首の代わり、つまり戦功の証として「耳・鼻」を削いで持ち帰るということも広く行われていたそうな。その「耳鼻削ぎ」という行為について、いくつもの歴史史料を見ていくと、現代の私たちとは全く違う、中世の日本人の生活や価値観が見えてくる。以前、とあるタンパク質についての総説を書くためにそのタンパク質研究の初期の論文を読み漁ったことがあるのだけれど、多数の論文から当時の研究の流れを再構築していくという過程が、大変だったけれど面白くて、本書を読みながらそれを思い出した。

 

戦国時代の耳鼻削ぎの例としては、豊臣秀吉朝鮮出兵を行ったときの話が詳しく紹介されていて、その規模の大きさ、凄惨さに唖然とし、重い気分になった。そういえば昔(大学院生だった頃・・・?)、当時博多に住んでいた祖母と祖母の友人と三人で釜山に旅行に行ったことがあって、現地のガイドさん・運転手さんつきおまかせツアーだったんだけど、観光場所の一つが秀吉軍ゆかりの公園だったんだよな。かなり昔のことなので実際にどこに行ったのかも覚えていないし*1、全体的に記憶が定かでないのだが、「秀吉軍を撃退した」というようなことを得意気に話すガイドさんの前で私も祖母も祖母の友人もみんな戸惑ったことは覚えている。そのときは、観光客である私たちにそれ言う・・・?と、不愉快さすら覚えてしまったのだが、この本を読んで、韓国の歴史における秀吉軍侵略の重大さ、その撃退を誇るガイドさんの気持ちがやっと少しわかったような気になった。中高の歴史の授業では李舜臣の名前くらいは出てくるけど、秀吉軍が朝鮮の人たちに対してどれほどひどいことをしたのか、その具体的な話は出てこないものね・・・。

 

しかし本書の面白さは、高野秀行さんの解説ですべて言い尽くされているので、それ以上何を言っても無駄な感じはあるな・・・。本編だけでも面白いのに高野さんの解説がまた面白くて、最後まですごい贅沢な本だ!と興奮してしまった。まあただ一点、難があるとすればやはり「痛い」という一言につきますかね。「耳鼻削ぎ」という字面からしてすでに痛いのに、途中関連する絵や写真史料なども挟まれていて想像を煽られるのがつらい。さらに文庫版補講の「中世社会のシンボリズム ー爪と指ー」!これはつらかった・・・。「耳・鼻を削ぐ」という行為は確かに残虐・凄惨なんだけど、現代日本社会を生きているとほとんど縁がないというか、それこそ本書にも出てくる『耳なし芳一』のお話で「耳を削ぐ」という行為に触れるくらいじゃないですか?一方指は、小さい頃にヤクザの方が不始末を起こしたり組から抜けるときは指詰めをするっていう話を聞いてそれこそ想像するだけでトラウマになるレベルの恐怖だったし(まあ実際にそういう方にお会いしたことはないんだけど)、事故でドアに挟んで取れちゃったなんて怖い話も聞いたことあるし、「耳・鼻」に比べると身近で、それ故に描写を読んだときの想像がリアル・・・。いやもう想像するだに痛いのでこれ以上の検証は避けますが、この補講は本編よりもさらに痛さ満載で、結構スピード上げてすっ飛ばし気味で読んでしまった・・・。

*1:「釜山 公園 秀吉」でググるといくつかの候補が出てきて、中でも「龍頭山公園」というのがそれっぽくはあるのだが、日本語のページを見ると「秀吉を撃退した場所」というよりも「秀吉を撃退した李舜臣の像がある場所」という感じで書かれていて、記憶にあるガイドさんの説明と一致しないのでやっぱりよくわからない。