『翻訳がつくる日本語 ヒロインは「女ことば」を話し続ける』を読んだ

翻訳における「女ことば」について考える機会があり(どんなきっかけだったのかは忘れてしまった・・・が、おそらく北村紗衣先生のツイート関連だと思う)、これまたどんなつながりだったのか忘れてしまったけれど、この本の存在を知って読んでみた。

表紙がポップなイラスト、内容もかなり平易な文章で書かれているので、一般向けの読み物かなと思いきや、要所要所の専門家らしい深い考察におお、となって、目から鱗がぽろぽろ落ちた。

 

タイトルは「女ことば」なのだが、本書で扱われているのは女ことばだけではなくて、「やあ」「・・・さ」などの男ことば、そして無知で教養のない人物像を表すときに使われていた(今ではあんまり見ないけど)「・・・だべ」「・・・しただ」「ごぜえます」などの疑似東北弁など、いろんな「翻訳では使われるが実際の社会では使われない言葉」。映画だけではなく、小説や新聞記事まで、さまざまな翻訳の例を検証して考察している。

 

なかでも「うわあ」と声をあげたくなるくらいに自分的に衝撃だったのが、方言の使用についての検証と考察(第II部7)。そもそも「方言」自体が、明治期に「優れた標準語」と比較して「劣った方言」を差別するために作られた概念であるという事実に基づいて、翻訳において裕福な白人に標準語を喋らせ、無知な奴隷の有色人種に方言の代表としての疑似東北弁を喋らせることにより、「教育ある東京人」と「教育のない非東京人」との差別を再生産している、とする考察にはめちゃくちゃびっくりした。今、アメリカで盛んなBlack Lives Matterの運動に関係して、「日本人は自分が白人と同じ立場(差別する立場)だと思っている」というツイートを見かけた。実際、結構多くの日本人がそういう勘違いをしているんじゃないかと思うんだけど、それって大部分の人が標準語を話すようになったこと、翻訳において裕福な白人が標準語を話すことと関係してるんじゃないかな?

 

言葉が文化に与える影響ってすごい、「たかが言葉」とおろそかにしてはいけないと思ったのであった。