『プルトニウム・ファイル』を読んだ

『ワン・モア・ヌーク』についてのレポートを書くために読んでいたのだが、これが予想外に長い本で(Kindleで買ったので厚みがわからないまま読んでた)、内容のヘビーさも相まってなかなか一気に読めず、やっとさっき読み終わったところ・・・(つまり先に挙げた『ワン・モア・ヌーク』レポートで引用しているにも関わらず、実際はこの本を読み終える前にレポートを書いていたのである・・・学生の皆さんは真似しないようにお願いします)。

プルトニウムファイル   いま明かされる放射能人体実験の全貌

プルトニウムファイル いま明かされる放射能人体実験の全貌

 

いやもう言葉にならないくらいひどい話だった・・・。アメリカ国内で、放射性物質を静脈注射したり筋肉注射したりしてその経過を見るとか、全身をかなり高い放射線で処理してその経過を見るとか、そんな非人道的な実験が第二次世界大戦中から1970年代まで行われていて、しかも1990年代に明るみに出るまで全て隠蔽されていたという事実。プルトニウム発見直後こそ、科学者自身もその危険性を認識しておらず、「ガンの治療に役立つかもしれない」という希望の元に人体投与の実験を始めたものの、危険性に気づいた後も実験を止めるどころか、冷戦時代には「核爆弾投下後の戦場において兵士にどれだけの影響が出るか」を調べるため、また、宇宙開発が活発になってからは「宇宙飛行の際に宇宙飛行士がどれだけの放射線の影響を被るか」を調べるためという名目で、非人道的で非倫理的な人体実験が継続された。しかも人体実験の対象となったのは、ほぼすべて教養のない貧しい人々なのだ。

 

個人的に衝撃だったのは、私が昔留学していたカリフォルニア大学バークレー校、そしてバークレー校のすぐ近くにあるローレンスバークレー国立研究所も、放射性物質人体投与実験に関わっていたということだ。ローレンスバークレー国立研究所は、今もDOE(エネルギー省)と親しい関係にあって、かなり潤沢な資金をDOEから得ているはずなのだけれど、その関係はDOEの前身となるAEC(アメリカの原子力委員会)から続いていたものだったのね・・・。研究所のホームページには「研究所の歴史」について紹介するページもあるのだけれど、設立当初のことが書いてあるだけで核開発や関連実験のことには一切触れていない。これをアメリカの闇と呼ばずして何を闇と呼ぶのだ・・・。

 

同時にやはり、研究者の倫理、研究者の責任ということについても、研究者の端くれとして改めて考えさせられた。人体実験をした科学者たちが、私と同じ科学研究者だったということ、自分も無関係ではないのだということは忘れずにいたいが、同時に、大きな予算を獲得して大きな仕事をしようとすると結局政府に頼らざるを得なくて、政府みたいな大きな組織とつながりを持ってその視点で動くようになると、よっぽど倫理観の高い人でない限り、国民・人間を「集団」としてしか見られなくなってしまうんじゃないだろうか、とも考えた。そうして「大きな目的のためにはある程度の犠牲は必要」みたいな考えで弱者を切り捨てるのだが、選民意識が強いからその「犠牲」になる人間と自分は違うと慢心しているのだろうな・・・。日頃から出世には興味のない私だけど、やっぱり権力は持ってはいけない、大学の一末端教員としてほそぼそ研究を続けるのが一番・・・との決意を強めてしまった。