『日本近代科学史』を読んだ

ちょっと前に感動のうちに読み終えていたのだが、最近あまりにやる気がなく、感想文を放置していたこの本。

 

日本近代科学史 (講談社学術文庫)

日本近代科学史 (講談社学術文庫)

 

 

この文庫、出版日がごく最近だったので、本書の終盤で「現代(1970年代)」という記述を見るまで、村上先生のご研究の集大成くらいに思っていた。だってそれくらいすごいんですよこの本・・・。

 

第一章から第六章までは、種子島における鉄砲伝来から現代に至るまでの日本の科学史を見ることによって、中国や西洋から輸入された科学技術が日本にどのように根付いて、日本の科学観をどのように変化させていったのかが丹念に解説されている。そしてそれを元に、日本という国の風土、文化についての村上先生の考察が第七章で述べられているのだが、この考察が「ずばっと斬る」感があってめちゃくちゃかっこいい。改めて「まえがき」を見ると、最後に「1968年盛夏」と記されているから、村上先生32歳のときの作品なんですよね、これ。そんな若さで、

 

それでは、日本人は、ほんとうに、血肉から、科学的*1(少なくとも西欧科学的)になったのであろうか。・・・私の答えは、二重の意味で「否」である。

 

とか書いちゃうんですよ。自分が限界まで研究して思考したという事実に基づく学者としての覚悟なしでこんな風に言い切れないですよ。かっこいい・・・そして我が身を振り返って、学者としての格の歴然たる違いを感じる・・・orz

 

しかし一方で、「科学という観点から日本文化を語る」という壮大な試みには、若手研究者の野心、情熱が感じられるし、上述の文章も、新進気鋭の研究者がこれから学者としてやっていくんだという覚悟の表れなのかもしれない。まあいずれにせよ、本書を読んで、日本科学の歴史を学び、新たな観点から日本文化を見ることに蒙を啓かれた喜びを感じるとともに、一応「学者」「研究者」という身分で生計を立てている我が身を振り返ってしまいましたね・・・*2

 

ところで、上述の通り、日本では西欧的科学観・自然観は生まれず、また未だに西欧的科学観が根付くに至っていない、というのが村上先生の考察(というか一般的な考え方なのか?他の方の著作を読んでいないのでなんとも言えない・・・)なのだが、西欧的科学観・自然観が生まれなかったのは日本だけではなく、中国でも同じことらしい。確かに中国って、あれだけ古くから高度な文化を築いていたのに、どうして科学技術という点で西欧に大きな遅れをとってしまったのか、非常に興味深い謎だよなあ。アマゾンで、「中国 科学史」で検索をかけてみたのだが、それほどたくさんは引っかかってこなかった。中国語ならもっとあるのかしら。それとも資料が膨大だったり、はたまた規制が厳しすぎたりしてなかなか研究できないのかしら・・・。

*1:ここは原文では傍点

*2:と言いつつ今は連休でぼけぼけしている。