『科学はなぜわかりにくいのか』を読んだ

最近ずっと疑似科学関連の本を読んでいて思ったのが、「疑似科学の定義って難しい」ということ。疑似科学に関する本の数だけ、著者の数だけ定義がある。で、それって裏を返せば「科学の定義って難しい」ということ。まあそれだから「科学とはなにか」を考える科学哲学が、一つの学問分野として存在してしまうわけなんだけど・・・。

 

科学はなぜわかりにくいのか - 現代科学の方法論を理解する (知の扉)

科学はなぜわかりにくいのか - 現代科学の方法論を理解する (知の扉)

 

 

というわけでこの本。「科学とは方法論である」という立場から、その方法論についてとても丁寧に解説している。著者の吉田伸夫氏は、著者プロフィールを見ると、ご専門は素粒子論(量子色力学)とのことなのだが(量子色力学ってなんじゃろ・・・?)、「科学哲学や科学史をはじめ幅広い分野で研究を行っている」とある。研究活動を行いつつ、著作活動や大学での講義を通して科学についての啓蒙活動を行っている方なのかな?

 

第1章は、その吉田氏が大学で担当した科学史の講義を元に書かれている。「はじめに」にあるように、半期の講義を、恐竜絶滅の小惑星衝突説に関する1980年のウォルター・アルヴァレズらの論文の解説とその前史、その後の展開の解説に費したそうだ。すごい・・・。いろんなことをちょっとずつ、なら、教科書に沿ってやればいいんだけど、一つのことを掘り下げるとなると、論文やら解説書やらをたくさん読まないといけないから、かなり大変じゃないかな・・・。

 

で、そのアルヴァレズらの論文。Science誌には珍しく、14ページという分量で掲載されたそうで、「白亜紀第三紀の境界に当たる地層にイリジウムが高濃度で含まれる」というデータが小惑星衝突説のもとになっている。ただもちろんそのデータだけでは査読者たちを納得させることはできないわけで、じゃあどうやってアルヴァレズらが「小惑星衝突説」を説得力ある説にしていったのか、本書ではその過程がくわしく解説されている。その仮説と検証の積み重ねは「これぞサイエンス!」という感じで読んでいてわくわくしてしまった。

 

ちなみに元論文はこれですな。会員じゃないと本文は読めないけど。

science.sciencemag.org

 

第2章、第3章では、そのような学説が一般的に受容されるにいたる過程を、さらに詳細に検証していく。第2章では、1997年のnatureに発表されたクローン羊ドリーの論文を例に、科学論文とはそもそもどういうものか、どういう書き方がされているのかが解説されていて、読みながら、そう言えば私も一番最初に科学論文読んだときは結構面食らったな、ということを思い出した。いや、ちゃんと読んでいけばもちろん必要な情報は得られるんだけど、必要な情報以外は得られないというか、非常にそっけないというか、何をどう読んでいけばいいのか戸惑ったなあ。これから卒研で論文を読み始める学生さんも、多分最初は戸惑うんだろうなあ。

 

他にも、進化論や原発事故、抗がん剤などのさまざまな例がそれぞれ掘り下げて解説されていて、それによって科学の限界や、科学における数字の取り扱い方、そして「科学の方法論」が理解できるという流れになっている。読んでいて、すごく真面目で科学に対して誠実な方なんだろうなーと思った。

 

しかし一方で、科学って、科学に対して誠実であればあるほど、地味になったりわかりにくくならざるを得ないものなのかな・・・という印象も受けたんですよね・・・。この本、読んだのは昨年の秋ごろで、感想文を書きかけてなかなか進まなかったのは、面白かったしいろんな人に薦めたいと思いつつも、どう感想文を書けばよいのかよくわからなかったからで。本書のカバーの袖の部分に、「そもそも科学はどうしてこんなにわかりにくいのだろう・・・。そんな素朴な疑問に本書がずばり答えます」と書いてあるのだが、あんまり「ずばり」という感じはしなかったんだよな・・・。しかし派手さやインパクトを狙って本当に端的に「ずばり」書いてしまったら多分それは科学ではなくなるわけで・・・。ジレンマだなあ・・・。

 

ところで以前読んだ池内了氏の『疑似科学入門』で第三種疑似科学として定義されていた複雑系だが、本書では、「科学が深く関与するにもかかわらず、科学の範囲内で結論が出せないケース」として「トランス・サイエンス問題」と呼んでいた。そうそう、トランス・サイエンス。聞いたことあるわ。第三種疑似科学よりよっぽどいいよね。あの『疑似科学入門』、やっぱり問題あるよなあ、と思うのだが、疑似科学本の先駆け的な本で、かつ岩波新書という歴史・権威あるレーベルから出ているだけあって、いろんな疑似科学本で引用されているんですよね・・・むむむ・・・。