『暮らしのなかのニセ科学』『なぜ疑似科学を信じるのか』を読んだ

相変わらず講義準備のために疑似科学ニセ科学関連の本を読んでいる。というわけでまずはこの二冊。

 

暮らしのなかのニセ科学 (平凡社新書)

暮らしのなかのニセ科学 (平凡社新書)

 

 

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)

 

 

疑似科学ニセ科学には、そもそもはっきりとした定義はなく、また科学と疑似科学の間に明確な線引は存在しない。だから疑似科学について書かれた本は、一つひとつの事例について検証していくというスタイルが多い。

 

『暮らしのなかのニセ科学』もそういった個別案件を一つひとつ検証していくというスタイルで、「暮らしのなかの」というタイトルからわかるように、その焦点となっているのは私たちの身近に存在しているニセ科学だ。ガンの民間治療、サプリメント、ダイエット法や健康法、食品添加物や水ビジネス、マイナスイオン、そしてEM菌について、具体的な人名・会社名・商品名を挙げて検証し、批判し、そして読者に注意を促している。

 

ちなみに左巻健男氏の本書における「ニセ科学」の定義は、

 

ニセ科学は、「科学っぽい装いをしている」、あるいは「科学のように見える」にもかかわらず、とても科学とは呼べないものを指します。(p3)

 

となっている。

 

本書には、そのようなニセ科学から国民を守るための法律(薬事法あらため薬機法、正式名称は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」とか、「不当景品類及び不当表示防止法」略して景表法)に関する説明もあって、とても勉強になった。特にEM菌問題。ツイッターでよく見かけている割には詳細をよく知らなかったのだけれど、本書でEM菌が出てきた経緯やその危険性について読み、改めて怖くなった。某サイエンスライターの方が神経質になる理由もわかるな・・・。

 

そしてもう一冊の『なぜ疑似科学を信じるのか』。本書の著者である菊池聡氏は心理学が専門で、「疑似科学に騙される人の心理」について深く分析しているという点が、他のニセ科学関連の本にはない本書の特徴。上にも書いたように、疑似科学については明確な定義がなく、それぞれの著者によってそれぞれの定義付けがなされている。だから中には、例えば以前読んだ池内了氏の『疑似科学入門』における「第三種疑似科学」の扱いなど、「ちょっとそれは私には受け入れがたい」と思われる記載もある。一方、菊池聡氏の「疑似科学」の定義は

 

疑似科学とは、科学のように見えても「科学」とはいえない方法論やフレームワークに特徴があり、そこから生み出された次節にしがみつく一種の「信念」として考えるべきである。(p225) 

 

であり、「どんな研究対象もアプローチによっては疑似科学化する」という主張は、私的には非常に共感度が高く、また同時に本書を読みながらいろいろ反省させられることも多かった。特に、第9章に紹介されている「しろうと理論」。これが疑似科学に入るかどうかは別として、自分の経験に基づいて人の心理を判断し「あの人はこういう人だ」と決めつけるような行動、私も最近取りがちだなあ・・・。私個人の少ない経験に基づいた、主観の入った判断を一般化して決めつける前に、自分自身を常に疑う謙虚さを忘れないようにせねばならないな・・・。