『猿橋勝子という生き方』を読んだ

図書館でたまたま見かけて借りてみた。

 

猿橋勝子という生き方 (岩波科学ライブラリー)

猿橋勝子という生き方 (岩波科学ライブラリー)

 

 

不勉強なので、女性研究者に与えられる「猿橋賞」の存在で猿橋勝子先生のお名前は知っていたものの、実際に何の研究をなさっていたのかは全く存じ上げていなかった。またこの本の著者である米沢富美子先生のことも、最近亡くなられたというニュースを見るまで全く存じ上げなかった私。不勉強なので・・・。

 

まあよく言えば、先入観のない状態で本書を読んだわけですが、いやー読み終わる頃にはすっかり猿橋先生ファンになっていましたね。研究者としての真摯さ、誠実さはもちろんのこと、謙虚でありながら自分の研究には絶対の自信を持っていて、自身の哲学を曲げない強さがあるというか。

 

研究者としての猿橋先生の専門分野は「地球化学」ということになるらしい。帝国女子理学専門学校を卒業後、気象研究所の研究員として、オゾン層の研究や、海水中の放射性物質の濃度、炭酸濃度などを調べ、化学的な観点から地球の状態を明らかにした。

 

それらの研究成果の中でも、本書の核として紹介されているのが、海水中の放射性物質の分析に関わるエピソード。1954年、ビキニ湾沖でアメリカの水爆実験が行われ、爆心地から160 kmの距離にいた第五福竜丸船員が被爆した。そして、水爆実験によって水中に放出された放射性物質は、その後海流に乗って遠く離れた場所の海水や生物を汚染していった。当時アメリカは、自国で行われた海水中放射性濃度の分析結果から「核実験は安全である」「海水によって薄められるので放射能汚染は心配ない」と主張していたが、猿橋先生はそのアメリカの結果よりも10倍から50倍高い濃度の放射性物質が海中に存在するという、アメリカの主張に反対する結果を出した。当然、アメリカからは非難轟々。

 

その調査結果の違いについて決着をつけるため、猿橋先生は自分の分析装置を携えて単身サンディエゴのスクリップス海洋研究所に乗り込む。研究場所として与えられたのは掘っ立て小屋のような汚い研究室。完全アウェーの状態で、猿橋先生はそのハードワークと化学分析の圧倒的精度の高さにより、最終的にスクリップスの研究者たちを納得させる。分析競争の果てに、スクリップス海洋研究所で放射性物質の分析を担当しており、当時分析化学の権威であったフォルサム博士の高い評価を勝ち取るエピソードは、まさに研究者のサクセスストーリー。かっこいー。当時まだアメリカ旅行なんて全然一般的ではなかったはずだし、そうでなくても単身敵陣に乗り込んで一戦交えるなんて、そして米沢先生はそうは書いてらっしゃらないけれどこれって多分「日の丸を背負っている」状態だったはずで、かなりのプレッシャーだったことは想像に難くない。それを猿橋先生はご自分の著書で「スリルがあった」という言葉で表現なさっていたらしく、自分の研究者としての実力に十分自信を持っていらしたことが伺える。

 

一方、猿橋先生の生まれつきの芯の強さを最もよく現していると私が思うのは、まだ猿橋先生が研究者になる前の、東京女子医学専門学校の入試のときの話。面接で、東京女子医専の創設者であり校長だった吉岡彌生に「どうしてこの学校を希望したのか」と聞かれ、「一生懸命勉強して将来吉岡先生のような立派な女医になりたい」と答えたところ、「私のようになりたいといってもそうたやすくなれるものではない」と笑われたそうなのだ。普通えらい先生にそんなことを言われたら、「そうかも・・・」と落ち込んでしまいそうなものだけれど、猿橋先生は反対に「(吉岡)先生への尊敬の念が次第に後退し、女子医専に入学することの期待は、大きな失望に変わって」(p54)いくのを感じ、最終的に女子医専への進学を取りやめる。猿橋先生の、権威への反発、潔癖、一途さ、芯の強さを感じさせて、すごく好きなエピソードだ。

 

ただ、そんな芯の強さを持ちつつも、猿橋先生、本書を読む限りあまり我が強くないというか、かなり謙虚な方なんだよなあ。まあ猿橋先生自身が書かれた本を読んでいないのでなんとも言えないのだが、例えば本書ではさまざまな場面における猿橋先生自身の心の葛藤がほとんど、というか全く書かれていなくて、それはおそらく猿橋先生自身の著書にそのような記述がないからなのではと想像する。一方で、研究者として最初から最後まで猿橋先生の恩師であり上司であった三宅泰雄博士に対する感謝の言葉がことあるごとに出て来るあたり、謙虚な方なんだなあと思うわけだ。生涯独身を貫かれたとのことだが、我の強くない清楚な美人とあれば、いくらでもお相手はいたのでは・・・?などとつい考えてしまったのだが、米沢先生も同じことを思われたのか、本書で、太平洋戦争で結婚相手となるべき年代の日本人男性が大量に戦死したという時代背景があるのでは、と分析されている。

 

ところで本書は、猿橋先生の死後、米沢先生始め数人の猿橋賞受賞者が起案して資料を集め、最終的に米沢先生がそれらの資料をもとに文章を書くという経緯で作成されたそうなのだが、あとがきに記されている米沢先生の超人ぶりにまたびっくりした。米沢先生、原稿2つと高齢のお母さまの介護を抱えて本書を執筆中、さらに甲状腺がんが見つかって入院→手術なさったとか・・・。病院にもコンピューターやプリンターを持ち込んで、手術の翌日には執筆を再開していたというのだから恐ろしい。まさに「化け物」・・・(←これは米沢先生ご自身が書かれていた言葉です)。いやこういうの読むと、自分はほんとにぼんくらだな・・・と改めて思うわけですよ。

 

米沢富美子先生、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載なさっていたそうで、一応本が出ているのだが、アマゾンだと中古でしか入手できないんだよな・・・。

 

 

安藤百福さんみたいに「復刻版」としてウェブ掲載してくれないかな、日経さん。

 

style.nikkei.com

 

・・・と思ったら近所の図書館に上述の米沢先生の私の履歴書本があるのを発見。予約しました。楽しみだなー。