『錬金術大全』を読んだ

かのアイザック・ニュートンが、後年、錬金術に入れ込んでいたというエピソードを知って以来、錬金術には興味を持っていた。現代では全く否定されている研究分野だけれど、あのニュートンが入れ込むくらいだから何らかの科学的正当性があったのではないかと思ったのだ。ただ実際には錬金術について調べたりすることなくこれまで来てしまったのだが、最近読んでいるミシェル・モランジェ『生物科学の歴史』に錬金術についての記載が出て来て、今こそ調べなければ、と思った次第。で、昨日近所の図書館でこの本を借りてきた。

 

錬金術大全

錬金術大全

 

 

B5サイズで手に取りやすく、図版もたくさん含まれていてすぐ読める分量。その中に、錬金術の歴史(第一章)、13世紀から16世紀にかけての主な錬金術師たち(第二章)、錬金術の実践(第三章)、錬金術論文における言葉遣い(第四章)がそれぞれコンパクトに紹介されている。さらに巻末に索引、主な錬金術文献のリスト、錬金術用語解説がついており、これ一冊で錬金術の概要を見渡せる、お得な本だ。ちなみに著者はエクセター大学英米研究学部の教授で、訳者は日大商学部の教授(だけどググっても日大のサイトがひっかかってこないところを見ると、もう退職されているっぽい。ちなみに著者ももう亡くなられているらしい)。

 

錬金術の起源と歴史を紹介する第一章を読むと、錬金術キリスト教といかに深く結びついていたかということがわかる。曰く、神の天地創造自体が、「分離」によって光と闇、天と地を作り出す錬金術的な行為であったと認識されており、そして聖書に出てくる人物たちの中では、アダム、ノア、モーゼ、ダヴィデ、ソロモンなどが、錬金術を習得していると伝えられていたそうだ。後年の錬金術は「はるかな昔から時代を経て断片化され不確かになり不完全になってしまった知識を回復しようとする試み(p12)」であり、ある観点から見ると、神の領域に近付こうとする不遜な行いでもあったらしい。一方で、錬金術が宗教と深く結びついていたという事実は、第三章で述べられている錬金術の実践における精神性の強さとよく合致する。

 

第三章ではまず、錬金術のもとになるのがアリストテレス以来信じられてきた当時の元素についての考え方であったことが説明される。すなわち火、水、空気、土の4つが最小成分としての「元素」であり、世の中の全ての物質はこれら元素が比率を変えて組み合わさったものである。また元素は熱、寒、湿、乾という4つの特性の組み合わせから構成されており(ここ、p69には「熱、湿、冷、寒」と書いてあるのだが、後の記述を見るとどう考えても間違いだろう)、火は熱と乾、空気は熱と湿、水は寒と湿、土は寒と乾から成っている。さらにこれらの元素は相互に変容できるものであり、その変容は円環をなして行われる、というのが大体の基本。

 

また、大気の中に存在する蒸気は湿と寒の性質を持っており、熱と乾の性質を持つ大地由来の発散物を含んでいる(この文章、p75の文章をわかりやすく書いたつもりだけどあんまり意味が取れないな・・・)。このような発散物は地中にも存在し、それが鉱物の元である。さらに、湿性の発散物を水銀、乾性の発散物を硫黄として、その2つがさまざまな程度や比率で結びついたものが金属であり、水銀と硫黄が適切な比率で混ざりあったものが金であり、金こそが自然界が目標とする完全体である。錫、鉛、銅、鉄などは不完全な金属で、それらから余剰なものや不純なものを取り除き、不足するものを補えば、完全なものすなわち金になる・・・というのが錬金術の基本となる考え方だそうな。

 

で、この完全なるもの金を取り出すことを目指して、錬金術師たちはさまざまな工程を試していたわけだけれど、一方でその工程については一致した意見がなく、作業がうまく行っていることをどのように判断するべきかという伝承があるのみらしい。そのことは、第一章で見たように、錬金術が宗教と深く結びついていたことを考えれば理解できる。錬金術師は聖職者がほとんどであったらしく、また錬金術を行う上で、体の清浄性(女性との肉体関係を持たない)は非常に重要であったそうな。

 

また第四章では錬金術の論文においてどのような言葉遣い、記述が用いられたかが紹介されているが、ほとんどが、修辞やパラドクス、比喩を駆使した非常に分かりづらい論文で、それは「宗教の言葉づかいでは、軽蔑され否認された者は、それゆえにこそ貴いのである(p110)」ということに由来しているらしい。

 

ところでこの本、錬金術師たちは自分たちがやっていることの馬鹿らしさを理解した上で錬金術に取り組んでいたことを感じさせる文章がちらちら出てくるんだけど、本当のところどうだったんだろう。例えば下の文章とか。

 

したがって、錬金術が利用した話法のひとつは古典古代の神話の話法だったのであり、とりわけ十五世紀以降になって著作家たちは、錬金術を古典神話と結びつけるようになったのであった。おそらく字義どおりに解釈するとバカバカしいことになるため、寓意的解釈のほうがもっともらしく思えるようになったのであろう。(p117)

 

それが実態だったとすると、やはりなぜニュートン錬金術に入れ込んだのかはよくわからないんだよな・・・。歳をとってくると宗教にのめり込むようになるのと同じことなのかもしれない。まあ今後も機会があったら他の錬金術関係の本を読んでみよう。

 

ところでアマゾン検索したら出版時期の早い異なる装丁の本があったけれど、改訂版なのかしら?あとがきにはそんなことは書いていなかったから、単に表紙を改訂しただけなのかな。

 

錬金術大全

錬金術大全