『マクニール世界史講義』を読んだ

最近科学史に興味を持ち始め、これまで何冊か新書・文庫で入門的な本を読んだ。で、思い至ったのが、「科学史は歴史。世界史をちゃんと抑えておかないとだめ」という当たり前のこと。私、そう言えばセンター試験で世界史は一応受験したけれど、でもそれほど真剣にやっていなかったのでぼろぼろだった(同時受験した日本史はそれなりに良かったので、二次試験も合わせてなんとか大学は合格できた)。その後大学に入ってから、教養課程で西洋史を受講した覚えがあるが、そこでもあまり真剣に勉強した記憶はなく、世界史においていつ何が起こったかは常に曖昧なまま今まで生きて来てしまった。しかしもはやごまかし続けることはできない。何しろこの冬には一コマとは言え科学史で講義をしないといけないのだから。

 

というわけで、手始めにしばらく前に買ってあったこの本をようやく読んだ。

 

マクニール世界史講義 (ちくま学芸文庫)

マクニール世界史講義 (ちくま学芸文庫)

 

 

マクニールと言えばしばらく前に流行った『世界史』なのだが、なぜゆえその『世界史』ではなくこの『世界史講義』なのかと言えば、上下巻の『世界史』の分厚さにひるんでしまったからです。だって世界史あんまり好きじゃなかったんですもの・・・。で、すぐそばにあったこの『世界史講義』を見て、お、薄くて読みやすそうじゃん、と手に取った次第。・・・しかしこの判断はずばり不正解でしたね・・・。

 

というのもこの本、マクニール先生の歴史研究の集大成的な小論を3編まとめたもので、第一章は18世紀から19世紀に至る世界の変容を「フロンティア」という観点から、第二章は文明が生まれた最初から現代に至るまでの人類の歴史を「寄生」という観点から、そして第三章は主に20世紀以降しばしば起きている経済破綻を歴史上何回も見られた「文明の破綻」と照らし合わせながら、それぞれ俯瞰して検証するというもので、基本的な歴史に関する知識、そしてその歴史がどう研究されてきたかという歴史学に関する知識がないと、その面白さが十分味わえないというか、要するに「ぽかーん」となってしまうのだ。

 

例えば最初の章。フレデリック・ジャクソン・ターナーアメリカ史に関するフロンティア論、そしてそれをさらに世界的規模に押し広げて議論したウォルター・ウェッブのグレート・フロンティアという概念に基づいて、その概念を検証しつつ歴史を紐解いていくという流れになっている。で、フロンティアは「自由・平等」を核とする概念(多分)なのだけれど実際は奴隷の存在があってこそ成り立ったものなのだよというのがどうやらマクニール先生独自の考えなのだけれど、そもそもその「フロンティア」の概念が自明のものとして語られていて文中でちゃんと定義されているわけではないので、マクニール先生の考えの新しさが伝わりにくいのだ。

 

第二章もそんな感じ。宿主(人間)を食い物にする病原体の生態を「ミクロ寄生」、一次産業に携わる人間からの搾取によって生活基盤を成り立たせる支配者の生態を「マクロ寄生」として、ミクロ寄生が歴史にどのような影響を及ぼしてきたか(これはジャレド・ダイアモンドの『銃・病原体・鉄』で読んだので割と馴染みあるテーマ)、そしてマクロ寄生の形が歴史を通してどのように変化してきたかを探るという論文なのだが、マクロ寄生については最初は官僚と支配される側だけだったのが途中で商人も出てきて、一方でそこらあたりから「マクロ寄生」という言葉が文中で使われなくなってきてしまい、商人は寄生される側なのどっちなの?と謎のまま読み続けるという・・・。こういう本を読むと私はいつもジャレド・ダイアモンドと比較してしまうんだけど、やっぱりダイアモンド先生はめちゃくちゃ文章がうまいんだよな・・・。

 

というわけで、どこが面白いのかあまりよくわからない、文章もあんまり読みやすくない、というのが読み終えたときの印象だったのだが、これを読んだあと、今『もう一度読む山川世界史』を読み進めていまして、これがめちゃくちゃ面白いんだけど、「あ、これマクニール先生が言ってたやつかな」なんて考えながら読むとまた蒙が啓かれる思いなのですよ。なので、本には読む順番があるし、ある程度の知識がないと面白さがわからないものなのだな、と改めて思ったというのが結論。『世界史』上下巻も買ったので、山川世界史のあとで読みます。