『破滅の王』を読んだ

先日徘徊していた本屋で見つけ、作家名と帯のあらすじに惹かれて購入。直感通り面白くて一気に読んだ。

 

破滅の王

破滅の王

 

 

「上田早夕里」の名前は、2016年の日本SF傑作選に収録されていた『プテロス』で初めて知った。地球外惑星に住む生物を研究している科学者の話だったのだけれど、そこで描かれていた研究者像にとても共感するものがあり、また、理性的で硬質だけれど、感情に流されまいとぎりぎりのところで踏みとどまっているような温かさも感じる文章もとても好みで、気になっていた作家だった。

 

『プテロス』が未来の空想の世界を描いた物語だったのに対して、本書『破滅の王』の舞台は第二次世界大戦中の上海。私は歴史に詳しくないのでよくわからないのだけど、主人公の勤務先(上海自然科学研究所)が実在していたこと(Wikipediaの「東方文化事業」の項に記述有り)、巻末の主要参考文献リストの充実ぶり、そして物語の中の緻密な記述を見ても、おそらくこの物語のかなりの部分が史実に基づいて構築されているのだろうと予想がつく。

 

また、本書の核となっているのが「細菌を食べる細菌で、治療法皆無の細菌兵器」である非実在のビブリオ菌「キング」なのだが、補注によると「細菌を食べる細菌」自体は1962年にドイツの植物病理学者によって報告されているそうだ。物語では、毒性を持たない元の細菌に、さまざまな方法によって変異を導入して、兵器として開発していく過程が描かれているのだが、その方法というのがまた「戦時下ならそんなことも起こり得たかもしれない」というリアリティに満ちている。そして、そのリアリティが、この物語の骨格を強度の高いものにしている。

 

一方で、リアリティを追求した結果、最後はすっきり全部解決してカタルシスが味わえる・・・というわけには行かず、それが第159回直木賞の候補となりつつも受賞を逃してしまった原因なのかも・・・と思ってしまった(ちなみにこの年、直木賞を受賞したのは島本理生さんの『ファースト・ラヴ』という作品で、レビューなどを読む限りこちらは読み終わったあとすっきり感が味わえそうな小説)。しかし、リアリティを追求すれば確かにこういう終わり方にならざるを得ないだろうな、とも思うし、一般受けではなく自分の信念を貫いてこのような終わり方にしたところ、作家の上田早夕里も主人公の宮本と同様、理想主義の人なのかもしれないな。

 

・・・と、これまでが一般論的としての本書の感想。一方科学者の端くれとしての感想は、ずばり「科学者はみんなこの本を読むべき!」。「戦時下において科学者はどうあるべきか」ということを真正面から問うていて、とても考えさせられるのだ。科学者の倫理を問う作品ということでは、遠藤周作の『海と毒薬』と並ぶんじゃないだろうか・・・って私『海と毒薬』読んだことないんですけど。今度読みます・・・。

 

上海自然科学研究所の連合年会の記録に残されていた「科学者の目標は真理の探求であり、真理は国家を超えるものであるからです」という言葉にいたく共感する主人公宮本は、科学者として、そして人間として正しいと思うことを貫こうとする、理想主義の人間だ。けれども、国と国とが対立している非常事態において、自分の理想を貫こうとする人間は抑圧される。物語を読みながら、「国の利益を優先させるため」と称して人道に背かざるを得ない状況に置かれたとき、科学者はどうするべきか、自分だったらどうするか、宮本のように自分の正義を貫くことができるのか、とずっと考えていた。もちろん、「国の利益を優先させるためと称して人道に背かざるを得ない状況」になんて一生置かれないことを祈るのだけれど、でも将来どうなるかわからないしね・・・。

 

ところで『プテロス』のときも思ったのだけれど、この作者、どうしてこんなに科学者の心理に詳しいんでしょうね。上にも書いた「科学者の目標は真理の探求であり、真理は国家を超えるものであるからです」とか、科学者の端くれとして心に刺さる言葉がたくさん出てくるし、科学者としての宮本の行動パターンも「わかるわかる」と心の中でがくがくうなずきつつ読んでいた。上田早夕里さん、元は科学研究者で、それから作家に転身なさった方なのか?と思って調べたのだが、ウィキペディアにはそれらしいことは書いておらず。

 

ja.wikipedia.org

 

科学者であるかどうかには関係なく、社会の中で科学とはこうあるべきだという理想像、そしてそういう理想を追い求めたいという姿勢が近いということなのかもしれない。

『人生は、楽しんだ者が勝ちだ』を読んだ

日本経済新聞に連載されていた「私の履歴書」に、大幅加筆修正された米沢先生の自伝。

 

 

めちゃくちゃ面白くて一気に読んでしまった。いや米沢先生、ほんとすごい方ですね・・・。お母様から受け継いだ数学の才能に加え、目標に向かって邁進するエネルギー、そして負けん気と行動力。まさにスーパーウーマンで、読んでいてくらくらした・・・。

 

例えば第四章「出世作」最初のエピソード。修士課程で結婚されてその一年半後、証券会社勤務のご主人が、ロンドン大学の大学院に一年間留学なさるのだが、米沢先生は「私も絶対に、イギリスに行く」「誰が一年も待てるか!」(p110)と、イギリスの大学すべての学長宛に「貴校の大学院で物理を勉強したいので、奨学金をいただけませんか」と手紙を書く。二校からOKの返事をもらい、最終的にキール大学というところに留学。留学中は夜中の二時、三時まで図書館で論文を読み、一年の間に受け入れ先の教授との共同研究で二報、加えて独自のテーマで一報、計三報の論文を発表。勉強だけでなく、二週間に一度はロンドンに出て旦那さんと観光を楽しみ、休暇中もヨーロッパ全土を旅行して回る・・・。ここを読んだだけでも、凡人で、かつ昨今体力の衰えが著しい私は、ぐったりしてしまうくらいのエネルギーだ。

 

その後も活躍めざましく、学位取得後は教育大での学振研究員を経て、京大基礎物理学研究所助手、助教授、そして慶応教授として理論物理学の第一線で研究を進められ、その間に三人ものお子さんを生み育てていらっしゃる。米沢先生の旦那さまは、当時としては珍しいほど奥さんの仕事に理解があり、かつ米沢先生の活躍を周りの人にも自慢するくらい応援なさっていた様子だけれど、それでも当時は「イクメン」なんて言葉もなくて、家事は女性がやるのが当たり前の時代。米沢先生ご自身も「私は「家事分担」を巡る争いはしないと決めていた。争う時間と精神的エネルギーが惜しい(p123)」と、一日四時間睡眠で家事育児をすべてこなされたそうな。まあ昔の女性研究者はこれくらいできる人でないと生き残れなかったんでしょうねえ・・・今の時代に産まれてよかった・・・。

 

この前読んだ『複雑系を科学する』『<あいまいさ>を科学する』では、米沢先生がどんな研究をなさっていたのか、詳しいことが触れられておらず残念、と感想に書いたが、本書では米沢先生ご自身の研究についても紹介されていて、そういう意味でも満足でした。「コヒーレント・ポテンシャル近似(CPA)」の理論確立、というのが米沢先生の大きな業績の一つらしい。まあ案の定、難しくて結局よくわかってないんですけどね。

 

修士一年のときに結婚なさってずっと連れ添った旦那さまとは歳をとってもラブラブで、旦那さまが亡くなるときのシーンは感動の一言。才能があってよき伴侶と家族にも恵まれて、って、誰もが羨む素晴らしい人生なのだが、多分米沢先生が一番恵まれていたのは、自分自身で運を掴み取る強さなのだろうなあ、と、本書を読んで思ったのだった。

 

いやはや、米沢先生、ほんとにすごい人でした(語彙力)。お腹いっぱい。すごい人の伝記ってやっぱり面白いですよね。 以前読んだこの本も面白かったなー。

 

なかのとおるの生命科学者の伝記を読む

なかのとおるの生命科学者の伝記を読む

 

 

『複雑さを科学する』『<あいまいさ>を科学する』を読んだ

先日亡くなられた米沢富美子先生の著書。

 

複雑さを科学する (岩波科学ライブラリー)

複雑さを科学する (岩波科学ライブラリー)

 
「あいまいさ」を科学する (双書時代のカルテ)

「あいまいさ」を科学する (双書時代のカルテ)

 

 

米沢先生が書かれた猿橋先生の伝記を読んで、米沢先生ご自身はどんな研究をなさっていたのか知りたくなり、で、とりあえず一般向けのこの二冊を、と図書館で借りて読んだ。

 

『複雑さを科学する』はそのタイトルの通り、「複雑系」の研究分野の紹介。一方『<あいまいさ>を科学する』は、「複雑系」に加えて「あいまいなもの」を科学的に研究するとはどういうことかについて紹介した本で、前半部はファジィ理論についての概説、後半は『複雑さを科学する』とかなりかぶった内容になっている。

 

二冊とも100ページ程度の一般書で、本書を読めば「複雑系」がどんなことを研究する分野なのか、「ファジィ理論」とはどういうものかがなんとなくわかったような気になる・・・のだが、一方で、「一般向けのわかりやすさ」を追求するあまり、研究分野の概観解説に終始している感があったのがちょっと残念。実際にその分野でどういう研究が行われているのかについて具体的なことが書かれていないので、「なんなくわかったような気がする」で終わってしまった(いや、読みやすくてさらさら読んでしまったのであんまり頭に残っていないだけで、改めて読み込めばちゃんと書いてあったのかもしれない・・・)。

 

特に『<あいまいさ>を科学する』は、上にも書いた通り、「前半ファジィ理論、後半複雑系」という感じで、焦点が少しボケている気がしてしまった。理論物理の方だから、多分相当に解説しにくい難しい研究をなさっているのだろうけれど、やっぱりこういう科学系の一般書では、その著者自身の具体的な研究の話を入れるべきじゃないかな・・・と言うのが、この二冊を読んで一番強く感じたことかな。

 

私の持論として、「初心者向けのセミナーや講義をするときは、講演者の人柄が垣間見えるようなエピソードを少し入れると、聞くほうはその講演者を通して講演内容とつながりを感じることができて理解が進む(ような気になる)」というのがあるんだけど、本でも同じことだと思うんですよね。「自分は具体的にこういうことに興味があって、こういう研究をやっている」という内容を含めることによって、読み手は著者の個性に触れることができるし、その研究分野についてもうちょっと踏み込んだ内容を知ることもできる。そしてその著者の研究内容紹介という核ができることによって、概説する各章が有機的なつながりを持ってくるというか。そういう意味で、頁数の限られた一般書であるとしても、米沢先生ご自身の研究内容について、ちょっとだけ踏み込んで紹介していただきたかったな・・・。

 

米沢先生がどういう研究をなさっていたかはこっちで読むか。

 

日経サイエンス2019年4月号

日経サイエンス2019年4月号

 

 

『科学者はなぜ神を信じるのか』を読んだ

昨年、本屋で見かけて興味を惹かれながらもそのときは買い逃し、以来探していたこの本をしばらく前にやっと見つけて購入。

 

 

ここ1年くらいで科学史関連の本を何冊か読んだのだけれど、過去の科学者、哲学者が非常に宗教的であったことを知るにつれ、「科学と宗教」について考える機会が増えていた。このブログでも以前書いたけれど、ニュートンが後年錬金術にのめり込んでいたという事実を知ったときはかなりびっくりして、その理由を知りたくて錬金術についての本を読んだりもした。

 

norikoinada.hatenadiary.jp

 

結局、この『錬金術大全』の中には私が欲しかった答えはなく、その後、現在まだ読みかけの科学史に関する本の中に「ニュートンは非常に敬虔なカトリック信者で、万有引力も神の力によるものだと思っていた」というようなこと書かれていたのを読んでそれなりに納得したのだが、では「なぜニュートンは神を信じていたのか」という理由としては、まあ時代だったのかなあ程度の認識しかなかった。

 

で、そんなときにこの本を見かけて「これは読まねば・・・」となったわけだ。まあ一番最初に書いたように、最初に見かけたときは購入せず、実際に購入したのはしばらく経ってからなのだが。

 

著者の三田先生は、素粒子論の理論物理学者であり、カトリック教会の助祭(司祭に次ぐ職位らしい)でもあるという方。「はじめに」によると、高校生(おそらく日本の高校生だろう)相手の授業をしていたときに、「科学の話の中で神を持ちだすのは卑怯ではないか」という質問を受け、それをきっかけとして「科学と宗教」について考え始められたのだそうな。

 

「科学者はなぜ神を信じるのか」に対する答えを得るために、本書では、歴史上有名な科学者たちと神との関わりを紹介していく。取り上げられているのは、コペルニクスガリレオの地動説、ニュートン万有引力アインシュタイン相対性理論素粒子論、ホーキングの宇宙理論。それらの科学者が宗教(主にキリスト教)をどう考えていたのかが綴られると同時に、彼らが唱えた理論の話がわかりやすく説明されていて、物理の入門書としても面白い。恥ずかしながら、私はこの本で初めて相対性理論素粒子論の概要を理解しました。また、宗教について、それらの科学者が同時代の他の科学者と交わした会話、手紙のやり取りが非常に興味深い。第6章のコラムにあるハイゼンベルクディラックとパウリの「神と科学」についての会話は、三田先生自身の翻訳だそうだけれど、これを読むだけのためにでも本書を買う価値はあると思う。

 

ところで私自身は、大半の日本人と同様、一応形としては仏教徒でお寺に先祖のお墓があるけれど、基本的には無神論者だ。神社やお寺に行けばお参りするし、神社でお祓いをしてもらったこともあるけれど、神様や仏様のご利益を信じているからそうしているというより、宗教に対する一種の尊敬からそうしている、という感じ。天国も極楽も信じてはいなくて、死んだら眠ったような状態になって何もなくなってしまうのだろうと思っている。とは言え、うちの母と祖母は割と宗教的な人たちで、祖母は、まだ元気な頃には、有名なお上人さまの話を泊まり込みで聴きに行っていたくらいのかなり敬虔な仏教徒だし、中学校高校とカトリックの学校で学んだ母は、自身はカトリック教徒ではないもののキリストの教えには大きく影響を受けていて、神様でも仏様でもどちらでもないようなどちらでもあるような絶対的な存在を信じているようだ。齢を取るにつれて宗教的になって言った人の話もよく聞くし、また私も今後の人生でなにか耐え難いほどの恐ろしくつらいことに出会うかもしれず、そうなったときに最終的に頼るのはきっと宗教なのだろうと思ったりもする。でもとりあえず今のところは「神様や仏様を信じる」というのがどういうことなのか、よくわからない。

 

一方それと矛盾するようであるけれど、宇宙の成り立ちや宇宙の外側などについての科学者の話を読んでいると、時折「神」についての言及が出てくることがあり、そういうところで現れる「神」に対してはなんとなく理解できるという自分もいる。私が小学生のとき、宇宙について少々興味が湧いて、宇宙について書かれた本を母に買ってもらったのだが、その本を読みながら、ビッグバンの前の世界とか宇宙の外の世界などを考えていたらどんどん怖くなってしまって、結局宇宙に対する興味はそこで薄れてしまった。未だに「宇宙の果て」なんてことを考え始めると怖くてたまらなくなって即座に頭から追い払うようにしているのだが、そういう途方もなく壮大なスケールのことを考え、そしてそんなにも壮大なスケールの事象が秩序だった数式で説明されるという事実に遭遇するときに、その美しさと不思議さに、神のような絶対的な存在を感じざるを得ないのだろうということはなんとなく理解できるのだ。

 

で、「なぜ信じるのか」。三田先生の解釈は本書の「終章」に書かれているからそれは読んでもらうとして、本書を読んだ私自身の解釈は次の通り。コペルニクスガリレオニュートンなど近代以前の研究者にとっての宗教は、上にも書いたように、宗教が生活の一部だったから、つまりそういう時代だったから、だから信じていたというのが主な理由なのではないだろうか。一方で、本書で紹介されている、アインシュタイン素粒子論に関わる研究者たち、またホーキングなどにとっての宗教は、無神論者と言われていながら後年は宗教的発言が多かったアインシュタインに代表されるように、「神のような絶対的な存在を信じざるを得な」くなった結果の到達点なのではないだろうか。私もこれまで科学者の端くれとして科学に携わってきて、顕微鏡を通して見る細胞の中の小さな世界を前に「こんな小さくて複雑なものがこの世の中にある」という美しさ、不思議さに呆然とした瞬間が何度かあった。私の場合は科学の周辺部でうごうごしている程度なのだが、結局、「世界の根源」について突き詰めて考えて、その中で世界の美しさ、不思議さに打たれるとき、「絶対的な存在」を考えざるを得ないということなんじゃないかな。

 

ところで「科学とニセ科学」について書かれた本の中で、しばしば「ニセ科学」は「宗教」に例えられる。「科学」が、世界の成り立ちについて理論的な説明を与えようとする行為であるのに対し、「宗教」は、神様によって「こういうものだ」と定義された世界を疑うことなくそのまま信じるという行為、というわけだ。つまりこのような記述の中で、「科学」と「宗教」は対極に位置するものとみなされている。確かにその図式は明確でわかりやすいのだけれど、本書を読んでいて、そんなふうに割り切るのは少し違うなと改めて思った。もちろん一部の悪質な新興宗教は、信者からお金をむしり取るためにわざと信者を思考停止の状態におい込んだりするのだろうけれど、キリスト教が時代に合わせて変化していることからもわかるように、真の宗教家は、思考停止に陥いることなく神に近づくためにたゆまない努力を重ねている。本書の最後の下りで三田先生がおっしゃっているように、神を信じそれに近付こうとすることも、科学で真実を明らかにしようとする(と言うのは非実在論的立場から言えば正しくないのかもしれないがここでは敢えてこう書く)ことも、「考え続ける」という点では同じなのだ。そういう意味では、「科学ではわからない」などと思考停止に陥っているものをニセ科学と定義することもできるな、と、考えたのだった。

『お茶をどうぞ』を読んだ

生協の本売り場で見かけて購入。

 

 

向田邦子さんのエッセイに初めて出会ったのは小学校高学年の頃だった。母が持っていた文庫本の『無名仮名人名簿』とか『夜中の薔薇』とか『眠る盃』とか『霊長類ヒト科動物図鑑』とか、何度も繰り返し読んだ。大人になってからは、『男どき女どき』とか『思い出トランプ』とかの小説、それから雑誌や料理本なんかの向田邦子関連書籍も見かけるたびに買って読んだ。猫好きだったところ、おしゃれやお料理も大好きだったところ、絵画や骨董品を集めてらしたところなど、仕事だけじゃなくて生活そのものを楽しんでいらしたところが好きで、私にとって(そしておそらく私の年代以上の多くの女性にとって)理想の女性の一人。

 

そういうわけでこの本も、見かけてすぐ購入した。2016年に単行本として刊行された本の文庫化で、テレビや誌上での向田邦子の対談を集めたもの。長年、ラジオやテレビの脚本家として活躍してきた向田さんだけあって、対談の相手は、黒柳徹子森繁久彌小林亜星阿久悠和田勉久世光彦など、恐ろしく豪華。そして対談中の話しぶりからして、向田さんがこれらの方々と普段から親しく付き合っていらしたことがわかる。

 

しかし向田さん、まだまだ女性の社会進出が遅れていた時代にばりばり仕事をして、脚本家として名をなした後作家に転身して直木賞も受賞して、ほんとすごい人なのだが、この対談を読んでいると「男は・・・女は・・・」というフレーズがかなり頻繁に出てきて、そういう時代だったんだなあ・・・と思わされる。例えば森繁久彌との対談中の以下の会話。

 

森繁 (・・・)若い時代にほのぼの好きだったという女性には会わないほうがいいですね。(・・・)

向田 そうでしょうね。大体、同じ齢だったら男の勝ちですね。なぜでしょう。

森繁 やはり齢をとると、きれいにならないね。言い方はよくないけれど。

向田 これは本当にならない。女は齢に関しては不利ですね。(p50)

 

それから小林亜星との会話。

 

亜星 (・・・)男が書く家庭っていうのは、なんか観念的でね。

向田 でも、やっぱり男性のほうが巨視的っていうか、大きいんじゃないかしら。(p74)

 

年齢に関しては、向田さんは晩年50歳くらいの頃の写真を見てもとてもおきれいだし、男性だって齢をとって若い頃と大きく変わって「昔はかっこよかったのに・・・」という人はたくさんいるし、齢を取ってきれいにならないかどうかは男性・女性というより個人差がすごく大きい気がするが、昔は、女は家庭に入って子供を持ったらおしゃれなんてする暇もなくする必要もない、みたいな圧力もあったのかもしれないな。今、齢をとってきれいな女性が増えているのは、そういう圧力がなくなってきたせいなのかもしれない。また、男性のほうが巨視的で女性のほうが細かいところに目が向く、という話は昔からよく聞くけれど、真偽のほどは定かでない。おそらく、家庭に閉じ込められていた女性と、社会に出て働いていた男性との立場の違いでしかないのではと私は思っている。

 

上の引用以外にも、女性を下において男性を立てるという向田さんの姿勢はこの対談週では随所に見られる。子供の頃からそういうものだと教育され、男性をたてないと女性が社会で働くことすらできないような、そんな時代だったんだろうなあ・・・と読んでいて少し苦しくなった。

 

一方で、向田さんの美学とか、仕事をする上での向田さんなりの工夫なんかも随所に盛り込まれているので、向田ファンとしてはやっぱり買わざるを得ない本ではある。どこに書いてあったか忘れたけれど、ドラマの脚本を書くときに、みんないっしょにご飯を食べるような、実時間と同じ時間の流れで進むようなシーンをどこかに入れておくと、他のところで時間を飛ばしても見ているほうは違和感がない、という脚本のテクニックに関する話は非常に興味深かった。しかし、原由美子さんとの対談で出てきた、「ローレン・バコールよりもマリリン・モンローになりたかった」という向田さんの談はかなり意外だったな。

『科学を語るとはどういうことか』を読んだ

東大の物理学教授である須藤(すとう)靖先生と、京大の科学哲学者、伊勢田哲治先生との対談。表紙がそもそも強烈なんだが、中身も強烈。というか、中身の強烈さに合わせてこの表紙なんだろうな・・・。

 

 

副題が『科学者、哲学者にモノ申す』となっていることから、なんとなく、「なごやかな対談」というよりバトル要素が入っている本なのかなという想像はつくのだが、読んでみたら思った以上の真剣バトルでびっくりした。しかも最終的に収束ついてない・・・。

 

そもそも本書の成り立ちは、須藤先生が最初に科学哲学の本を読んで「そこで語られている決定論・因果論という考え方の解釈に強い違和感を持った」「全く的外れでナンセンスな議論であるとしか思えなかった」(いずれもp7)という意見を抱いたところから始まる。そして「インターネット上の書き込みから、東大駒場キャンパスで科学哲学についてかなりひどいことを言っている物理学者がいるという話」(p297)を伊勢田先生が聞きつけ、河出書房新社の本の企画としてこの対談が行われた、と。

 

この須藤先生がとにかくエネルギッシュで、最初からほぼ最後まで、科学哲学は「くだらない」「役に立たない」と怒っている。確かに私も、科学哲学とか哲学の入門書を読んでいて、そこで述べられている議論に「哲学者ってそんなことまで考えるんだ・・・」と驚かされたことは何度もある(例えばデカルトが「1+1が2というのは実は正しくなくて悪魔によってそう思い込まされているだけなのかもしれない」と疑った話とか)。だから須藤先生の最初の衝撃もある程度はわかる。

 

でも私の場合、これまでに哲学の入門書を何冊か読んできて、普通の人が「そんなところまで」とびっくりするくらいにとことん考えつめてしまうのが「哲学者」なのだろうなと理解したし、そして「科学」と名前は付いているものの、科学哲学は人文系の学問分野で、科学とは方法論が異なるのも当たり前だし、なにより科学哲学は科学を外から見て科学とはなにかを考えるもので、疑問を持つ視点が科学者と全く異なるのは当たり前、という認識に達していた。だから、この本の冒頭で、須藤先生は科学哲学に対してたいそうお怒りのようだけれど、伊勢田先生との対談の中でこの怒りもすぐに収まるのだろう・・・と思って読み進めたのだが、これが大間違いだった。

 

この対談中、須藤先生は「科学哲学は科学の分野内にあって科学をサポートする役割を果たす学問である」と勘違いしたまま、徹頭徹尾その考えをあらためてくれない。一方の須藤先生に対する伊勢田先生は冷静そのもので、何度も、科学哲学は科学をサポートする学問ではないこと、科学の外から科学を考えるのが科学哲学であることを説明し、科学と科学哲学との関係は鳥と鳥類学者の関係によくたとえられると繰り返す。しかし須藤先生はその説明に一旦納得したかのように見えて、話し始めるとまた「科学哲学は役に立たない」という持論に戻って行ってしまうのだ。不毛。

 

須藤先生も、決して科学哲学を全く学ばないまま印象だけで暴言をはいているわけではなくて、私が読んだような入門書、そしてそれ以外のものもかなり読んでらっしゃるようだし、なにより対談を読んでいる限り(あとからかなり手は加わっているらしいが)、伊勢田先生の話に対してすぐに自分の理解をもとに話を展開させるところ(その解釈が合っているいないは別として)なんか、すごく頭のいい人だなと思うわけだ。それなのに、どうして「科学の外からものを見る」ということがわからないんだろう。科学哲学は、須藤先生の役には立っていないかもしれないけれど、なぜそれが自分の知らない、自分が所属している世界の外では役に立つかもしれないと考えないんだろう。「くだらない」と思うのはあくまで須藤先生の価値観での判断、好みの問題でしかないということがなぜわからないんだろう。

 

どんなに頭がよくてどんなにたくさん業績を出していても、「自分の世界」(須藤先生の場合は「科学」)という枠の中でしか物事を考えられず、自分の価値観に凝り固まってしまうのは、年齢のせいなのだろうかそれとも単に性格なのだろうか。もし歳のせいだとしたら、こうはなりたくないなと思ったし、また本書で須藤先生は「科学者vs科学哲学者」という図式を頻繁に提示されているけれど、その須藤先生が所属する「科学者」グループに私は入れてほしくないと強く思ってしまった。

 

一方の伊勢田先生はめちゃくちゃ大人で、須藤先生の暴言(それでも原稿にする時点でかなりマイルドになったらしいが・・・)にも動じず、科学哲学における議論、因果論、そして実在論について淡々と説明していく。でも「それはあなた(須藤先生)の価値観の問題」ってもっと早い段階で言っちゃっても良かったと思うよ、伊勢田先生・・・。

 

科学者と科学哲学者の対談という企画そのものはすごく面白いし、科学哲学について改めて学ぶところも多かったけれど、とにかく最初から最後まで須藤先生のわからんちんぶりにいらいらさせられた本であった。やれやれ。

『猿橋勝子という生き方』を読んだ

図書館でたまたま見かけて借りてみた。

 

猿橋勝子という生き方 (岩波科学ライブラリー)

猿橋勝子という生き方 (岩波科学ライブラリー)

 

 

不勉強なので、女性研究者に与えられる「猿橋賞」の存在で猿橋勝子先生のお名前は知っていたものの、実際に何の研究をなさっていたのかは全く存じ上げていなかった。またこの本の著者である米沢富美子先生のことも、最近亡くなられたというニュースを見るまで全く存じ上げなかった私。不勉強なので・・・。

 

まあよく言えば、先入観のない状態で本書を読んだわけですが、いやー読み終わる頃にはすっかり猿橋先生ファンになっていましたね。研究者としての真摯さ、誠実さはもちろんのこと、謙虚でありながら自分の研究には絶対の自信を持っていて、自身の哲学を曲げない強さがあるというか。

 

研究者としての猿橋先生の専門分野は「地球化学」ということになるらしい。帝国女子理学専門学校を卒業後、気象研究所の研究員として、オゾン層の研究や、海水中の放射性物質の濃度、炭酸濃度などを調べ、化学的な観点から地球の状態を明らかにした。

 

それらの研究成果の中でも、本書の核として紹介されているのが、海水中の放射性物質の分析に関わるエピソード。1954年、ビキニ湾沖でアメリカの水爆実験が行われ、爆心地から160 kmの距離にいた第五福竜丸船員が被爆した。そして、水爆実験によって水中に放出された放射性物質は、その後海流に乗って遠く離れた場所の海水や生物を汚染していった。当時アメリカは、自国で行われた海水中放射性濃度の分析結果から「核実験は安全である」「海水によって薄められるので放射能汚染は心配ない」と主張していたが、猿橋先生はそのアメリカの結果よりも10倍から50倍高い濃度の放射性物質が海中に存在するという、アメリカの主張に反対する結果を出した。当然、アメリカからは非難轟々。

 

その調査結果の違いについて決着をつけるため、猿橋先生は自分の分析装置を携えて単身サンディエゴのスクリップス海洋研究所に乗り込む。研究場所として与えられたのは掘っ立て小屋のような汚い研究室。完全アウェーの状態で、猿橋先生はそのハードワークと化学分析の圧倒的精度の高さにより、最終的にスクリップスの研究者たちを納得させる。分析競争の果てに、スクリップス海洋研究所で放射性物質の分析を担当しており、当時分析化学の権威であったフォルサム博士の高い評価を勝ち取るエピソードは、まさに研究者のサクセスストーリー。かっこいー。当時まだアメリカ旅行なんて全然一般的ではなかったはずだし、そうでなくても単身敵陣に乗り込んで一戦交えるなんて、そして米沢先生はそうは書いてらっしゃらないけれどこれって多分「日の丸を背負っている」状態だったはずで、かなりのプレッシャーだったことは想像に難くない。それを猿橋先生はご自分の著書で「スリルがあった」という言葉で表現なさっていたらしく、自分の研究者としての実力に十分自信を持っていらしたことが伺える。

 

一方、猿橋先生の生まれつきの芯の強さを最もよく現していると私が思うのは、まだ猿橋先生が研究者になる前の、東京女子医学専門学校の入試のときの話。面接で、東京女子医専の創設者であり校長だった吉岡彌生に「どうしてこの学校を希望したのか」と聞かれ、「一生懸命勉強して将来吉岡先生のような立派な女医になりたい」と答えたところ、「私のようになりたいといってもそうたやすくなれるものではない」と笑われたそうなのだ。普通えらい先生にそんなことを言われたら、「そうかも・・・」と落ち込んでしまいそうなものだけれど、猿橋先生は反対に「(吉岡)先生への尊敬の念が次第に後退し、女子医専に入学することの期待は、大きな失望に変わって」(p54)いくのを感じ、最終的に女子医専への進学を取りやめる。猿橋先生の、権威への反発、潔癖、一途さ、芯の強さを感じさせて、すごく好きなエピソードだ。

 

ただ、そんな芯の強さを持ちつつも、猿橋先生、本書を読む限りあまり我が強くないというか、かなり謙虚な方なんだよなあ。まあ猿橋先生自身が書かれた本を読んでいないのでなんとも言えないのだが、例えば本書ではさまざまな場面における猿橋先生自身の心の葛藤がほとんど、というか全く書かれていなくて、それはおそらく猿橋先生自身の著書にそのような記述がないからなのではと想像する。一方で、研究者として最初から最後まで猿橋先生の恩師であり上司であった三宅泰雄博士に対する感謝の言葉がことあるごとに出て来るあたり、謙虚な方なんだなあと思うわけだ。生涯独身を貫かれたとのことだが、我の強くない清楚な美人とあれば、いくらでもお相手はいたのでは・・・?などとつい考えてしまったのだが、米沢先生も同じことを思われたのか、本書で、太平洋戦争で結婚相手となるべき年代の日本人男性が大量に戦死したという時代背景があるのでは、と分析されている。

 

ところで本書は、猿橋先生の死後、米沢先生始め数人の猿橋賞受賞者が起案して資料を集め、最終的に米沢先生がそれらの資料をもとに文章を書くという経緯で作成されたそうなのだが、あとがきに記されている米沢先生の超人ぶりにまたびっくりした。米沢先生、原稿2つと高齢のお母さまの介護を抱えて本書を執筆中、さらに甲状腺がんが見つかって入院→手術なさったとか・・・。病院にもコンピューターやプリンターを持ち込んで、手術の翌日には執筆を再開していたというのだから恐ろしい。まさに「化け物」・・・(←これは米沢先生ご自身が書かれていた言葉です)。いやこういうの読むと、自分はほんとにぼんくらだな・・・と改めて思うわけですよ。

 

米沢富美子先生、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載なさっていたそうで、一応本が出ているのだが、アマゾンだと中古でしか入手できないんだよな・・・。

 

 

安藤百福さんみたいに「復刻版」としてウェブ掲載してくれないかな、日経さん。

 

style.nikkei.com

 

・・・と思ったら近所の図書館に上述の米沢先生の私の履歴書本があるのを発見。予約しました。楽しみだなー。