『地球46億年気候大変動』を読んだ

しばらく前に買ってあって積んであったのを、職場の居室を引っ越した際に見つけて「なんか面白そうな本あるー」と手に取った次第(いや「なんか面白そうな本あるー」じゃねえよ自分で買ったんだよ・・・)。

 

 

東大の地球惑星科学の教授の方が書かれた本。私は生物学者なので、炭素循環っていうと植物の光合成による炭素固定、その炭素を食べた動物が死んでまた土に戻る、みたいなところしか把握してなかったんだけど、考えてみれば地球上には生物よりも無生物のほうが多いわけで、その無生物の代表である鉱物が炭素循環に大きく関わっているという話が紹介される冒頭からかなりの衝撃を受けた。

 

途中はかなり専門的な話も多く、読み飛ばしてしまったところもあるんだけれど、最先端研究がどのように進められてきたのかという過程が臨場感たっぷりに書かれていたのと、何より地球が今後どうなってしまうのかというところが気になって最後まで読み終えた。一回読んだだけでは把握しきれなかったのでまた読まないといけないんだけど、でも地球惑星科学が非常にエキサイティングかつ重要な研究分野だということはよくわかりました!私、大学進学のときは環境問題に非常に興味を持っていたので、そのときにこんな研究分野があることを知っていたら進んでいたかもしれないな。まあ物理苦手だったんで、かなり可能性の低い「かもしれない」ですが。

 

『私の科学者ライフ』を読んだ

最近、理系女子・科学者キャリア系の本が結構たくさん出てますよね?で、自分が就職に苦労したこともあり、これからキャリアを積んでいく学生を育てる立場になったこともあり、ほぼ出る端から読んでいる。猿橋賞受賞者の声を集めたこの本も、そういう理系女子・科学者キャリア系の本の一冊。

 

 

ただまあ本書で紹介されているのは「猿橋賞受賞者」なので、これまで読んできたキャリア系の本とは違うんだろうなと思いながら読み始めたんだけど、やっぱり全然違いますよね・・・。各分野のスーパースター級研究者ばかりで、初っ端の二人が二人とも「修士1年生でnature」ですよ。「お、おう・・・」という感じ。

 

学生時代からイケイケで、ノーベル賞受賞者に俺はなる!という意気軒昂な方にはお薦めするけど、私のように、一時はトップレベル研究者を目指したけれど途中で自分の能力のなさに気づいてしまったそこそこの研究者、には割とつらい本でしたね・・・。子供3人産んで家事育児やりつつ大学教授として業績も出して・・・ってそれだけでもうめまいがしてしまうへたれ・・・。

 

まあただ、どこの分野でもそうだけど、そこそこのレベルの研究者たちの研究が作る土台があってこそ、スーパースター級の研究者の研究が進むんだと思うんですよね。なので、ここまですごくなくても研究者にはなれるよ、研究楽しいよっていうのは書いておきますね。

 

あと、教養時代のお友達である佐藤たまきさんの記事は個人的にじーんと来ちゃいましたね。米沢先生とのやり取りのところもたまちゃんらしくてよかった・・・。佐藤たまきさんのこちらの本はめちゃくちゃお薦め!

 

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『謎のアジア納豆』を読んだ

昨年本屋で見つけて買っておいた高野秀行さんの本をやっと読んだ。

西南シルクロードの旅やアヘン栽培をめぐるミャンマー奥地での滞在取材中に、日本の納豆によく似た食べ物に出会ったことを発端として、アジア納豆の調査を開始する高野さん。最初は「家族旅行のついで」という割とゆるい感じから調査が始まるんだけれど、さまざまな地域の納豆やその製法を知るにつれ、高野さんが加速度的に納豆にはまっていくのが面白い。テーマが「納豆」というとなんか地味な印象を受けるけれど、旅先でのいろんな出会い、多くの発見、そしてなにより高野さんの絶妙な文章に、読みながら何度も驚いたり笑ったりした。そして、納豆の起源に関する調査と考察、実地実験の末にたどり着いた結論には驚愕の一言・・・。

 

本書内で、高野さんは学生時代の探検部の先輩で今はフリーのディレクターをやっている竹村さんと一緒に、竹村さんの実家で納豆を自作する「納豆合宿」をする。で、それについて高野さんは、学生時代も先輩と二人で遊んでいて、30年経った今でもこんなことをして遊んでいる・・・「俺たちに進歩という概念はないのか」と嘆くんだけど、いやいや、やっていることは遊びに見えても、そこから生まれるアジア文化、歴史についての考察は、西南シルクロードでの旅、ブータンミャンマーでの滞在経験を経ていろいろ見聞きしたことをもとに考えてきた高野さんならではのもの。十分に成長している、というか、引用文献つきで納豆の起源について考察する最後の章なんか読むと、探検家・文化人類学者としての円熟味がすごいんだよね・・・。学術的にも非常に重要な発見を多々含んでいる本書なのだけれど、それを誰でも楽しめる一般書で発表しているというのもほんとにすごい。

 

そして今回この本を読みながら感じたのは、高野さんてほんと、いわゆる社会の仕組みの外で生きている人なんだなあ、ということ。私もこの歳まで社会で働いてきて、それなりの地位も得てみると、日本てすごく男性中心・強者中心の排他的な社会なんだなあと改めて思わざるを得ないんだよね。そしてそういう男性中心・強者中心の社会では、いかに他人よりも自分が上回っているか、ということが非常に重要である(これは最近読んだグレイソン・ペリーの『男らしさの終焉』に書いてあって、個人的にすごく腑に落ちたこと)。

 

男らしさの終焉

男らしさの終焉

 

 

で、そういう社会の枠の中で生きている人(私も含め)は、自分を大きく見せたり他人にマウントをとることで自分の優位性を示すという行動がもう習性のようになっていて、意識しなくても端々でそういう態度が垣間見えてしまって、それが周りの人からは攻撃的に見えたりもするんだけど、高野さんの著作の文章からは微塵もそういう気配が感じられないんだよなあ。自虐キャラとして文章中で意識的にそういう書き方をしているというのもあるのかもしれないけど、ネパールの空港で若い女性に声をかけられたり、その女性の友達の家に行ったら幼児が膝に登ってきたりというエピソードを読むと、やっぱり普段から競争心や攻撃心がほとんどなくて他人に警戒を抱かせない人なんだろうなあと思う。そしてそういう高野さんの文章を読んでいると、なんだかすごくほっとするんだよな。

 

高野さんの魅力も全開だし、ちょいちょい出てくる高野さんの愛犬・国際納豆犬のマドちゃんの可愛さも堪能できる本でしたね・・・。昨年出てた単行本『幻のアフリカ納豆を追え!』も注文して購入しました。読むのが楽しみだ!

『日本SFの臨界点 [怪奇篇] ちまみれ家族』を読んだ

ここしばらくSF読んでないなあ、と本屋でハヤカワ文庫を物色中に見つけ、購入。

 

 

こちらの「怪奇篇」と「恋愛篇」の2つがあったのだが、とりあえず怪奇篇を買ってみた。編集は『なめらかな世界と、その敵』の伴名練。『なめらかな世界と、その敵』はもちろんめちゃくちゃ面白かったし、大森望と編集していた『2010年代SF傑作選』も読んだ。書き手としても読み手としてもすごい人が出てきたんだなあ、とは思っていたけれど、この『臨界点』を読んで私の中の伴名練評価は更に爆上がりしましたね。伴名練、一生ついていくよ・・・。

 

「ホラーSF」というテーマで、主に単行本に収録されていない作品、あまり知られていない作品・著者の中選ばれた11篇、どれもとても面白かったのだけれど、中でも衝撃だったのが最後に収録されている石黒達昌『雪女』。「体質性低体温症」という病気について書かれた医学論文と、その論文著者である医師、柚木弘法(ゆうきこうほう)に関する記録・証言を主体として、「体質性低体温症」を持つ謎の女性ユキとその治療に関わる柚木医師の二人の死の謎に迫っていく、というのが物語の筋なんだけど、パラグラフ・ライティングを意識した改行の少ない文章、登場人物の感情の動きはばっさり排除して「事実のみを書く」という科学レポートそのものの文章スタイルにまず衝撃を受けた。

 

でも単に文章スタイルが特殊なだけならこんな衝撃は受けないわけなんだよな。科学レポート的に漢字も多く改行が少ない文章は、一見読みにくいんだけど、そんなことは関係なく、どうにかしてユキを助けようと死力を尽くす柚木医師の物語にどんどん引き込まれ、読み終えたときはしばし呆然として、これまたあまり味わったことのない余韻に浸ってしまった。

 

で、もちろんすぐにググって他の作品も読まなくちゃ、となるわけなんだけど、伴名練の紹介文にもあるように、著者の石黒達昌さんはテキサス大学の癌センターで助教授をなさっていたこともあるお医者さんで(現在は日本のクリニックにお勤めらしい)、その作品はほとんどがデジタル化されてはいるものの、数も少なく、また2010年以降は執筆活動がないらしい。まあお医者さん、忙しいよね・・・。伴名練は布教活動のため(?)に「石黒達昌ファンブログ」なるものも書いていて、わかる・・・わかるよ・・・と激しく共感。

 

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そしてもう一作品、「伴名練は人として信頼できる」との思いを強くしたのが、光波耀子の『黄金珊瑚』。この短編集唯一の女性作家なのだが、あとがきを読むと本短編集に女性作家を入れることに伴名練がこだわっていたことがよくわかる。結果として本短編集では女性作家の作品が一編だけになってしまい、「日本SF史に女性SF作家が全然いなかったという印象を与えるのも不本意」(p415、編集後記より)であることから、編集後記には「日本SF初期と女性作家」というまとめもつけられている。日本社会と同様、SF小説界隈も男性優位な社会という印象があり、小松左京なんか読んでると「女性嫌悪、女性蔑視」が露骨で心底うんざりするわけだけど、そんなSF小説界においてジェンダーバランスにもきっちり配慮できる伴名練はほんとに人として本当に信頼できるし、これからずっとついていくよ!と強く思ったのであった。「恋愛篇」も買いました。

『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』を読んだ

『つけびの村』の高橋ユキさんが1月始めにこの本についてツイートしてらして、非常に興味をひかれたので本屋で購入。案の定面白くて一日で読み切った。

 

 

この本の主人公は2018年にエベレストで遭難して亡くなった登山家の栗城史多さんなのだが、私がこの方のことを知ったのは、亡くなってしばらくしてから、栗城さんについて書かれたブログ(どなたのブログだかも覚えていないのだが、この本の著者もブログで栗城さんについて書かれていたそうなので、もしかしたらそれだったかもしれない)を読んで、だったような気がする。そのブログは、どちらかというと栗城さんに対して批判的な感じではあったのだが、批判一方でもなく、栗城さんがどういう人だったのかどう表現していいのか迷っているという感じの書きぶりで、釈然としないながらも興味を惹かれたのを覚えてる。で、そのときの興味が高橋ユキさんのツイートで再燃した感じ。

 

この本では、栗城さんの生い立ちから、なぜ登山家になったのか、登山家になってからの活動、そしてエベレストで亡くなるまでの経緯が書かれていて、「で、結局栗城史多ってどんな人なの?」という疑問に引っ張られてどんどん読んでしまう。最終的に、「栗城史多ってどんな人?」という問に対する単純な答えが得られることはなくて、読み終えた今でもいろんな疑問が頭の中に渦巻いている。素敵な婚約者と別れて、凍傷で9本の指を失うまで自分を痛めつけて、それでもエベレストに登って、単に「有名になりたい」だけじゃそこまでできないと思う。彼は究極的には何がしたかったんだろう。

 

最終的に感じたのは、チープな結論だけど、「すごく孤独な人だったんだな」ということ(この本では「孤独」ではなくあえて違う言葉が結論として最後に使われていて、たしかにそちらの言葉のほうが栗城さんには合っているように思う。けどその言葉はこの著者のものなので使わない)。まあ人は皆孤独ですけどね。自分が究極的に何がしたいのか、何がほしいのかもわからないまま彼は死んでしまったんじゃないかな。まだ若くて、ビジネスの才能があると恩師からも言われていて、これから何にでもなれたのに。何がしたいのか、何がほしいのか、見つけてほしかったな。

『ちゃんと知りたい!新型コロナの科学』を読んだ

昨年から、本を買っても積ん読にしておくことが多かったのだけれど、最近「すぐ読みたい!」という気持ちが戻ってきた。なんか昨年は読書的に停滞期だったのかな。

 

というわけでこちらの本も生協で注文したのが届いてすぐ読んだ。

 

 

これ、私みたいな「生物系研究者たるもの、新型コロナウイルス感染症の現状について知っておいたほうがいい」と日頃思ってはいるものの、毎週出てくる論文をフォローする気力・やる気はないというぼんくらにはうってつけの本でしたね・・・。COVID-19の「19」がなんに由来しているかすら知らなかったので、この本で「2019年に見つかったコロナウイルス感染症」という意味だということを知ったときは、あ、もう元は取れたと思いました。

 

もちろん本書で得た情報はそれだけではなくて、新型コロナウイルス感染症が最初に報告されて世界に広がった経緯から、MERS、SARSとの違い、抗体消失の話など、キーワードだけは知っていたけれど詳細のフォローができていなかった事柄についてすべて解説されていて、もうこれで生物系研究者として臆することなく日の当たる道を歩けます・・・ありがとうございます・・・という気持ち。

 

それから本書は、全体的に科学者サイドに立って書かれている感じが研究者の端くれとしてはすごく嬉しかった。例えば感染症流行1ヶ月で撮影された新型コロナウイルス電子顕微鏡写真の説明では「これが感染症流行から1ヶ月で撮影されたのは、人類の過去の感染症への対応と比べればすごいことです。」(p32)とあって、科学者としての筆者の興奮、科学者への信頼が伝わってくる。でも全体的には淡々と事実を述べるという姿勢で決して上から目線でも押し付けがましくもなく、「これぞサイエンスコミュニケーション」と思ったのでした。「おわりに」の文章にもじーんと来てしまった。こういうちゃんとした本が売れるといいなあ。

『科学哲学へのいざない』を読んだ

近所の書店でたまたま見かけて、「あれ?あの(東大教養学部にいらした)佐藤直樹先生?同名の別人?」と手に取ったら「あの」佐藤直樹先生だった。

 

科学哲学へのいざない

科学哲学へのいざない

  • 作者:佐藤直樹
  • 発売日: 2020/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

ちょうど準備していた後期の講義とも関係があるテーマだったので早速読み始めたのだが、科学哲学者が書いた科学哲学の入門書と異なり、これまで科学者(生物学者)として活躍なさってきた佐藤先生が、その立場から科学哲学を実際の科学に引き寄せて議論しているのがとても新鮮だったし、共感できるところが多々あった。確かに科学哲学の入門書を読んでいると、科学哲学って実際の科学からはかなり乖離しているとの印象を受けることが多いのだが、これまでは、科学哲学は科学を外から見て研究対象とする学問なので、科学を内側から見ている我々と視点や考え方が違っても仕方ないのでは、と考えていたんですよね。以前このブログにも書いた『科学を語るとはどういうことか』では科学者と科学哲学者の議論が最後まで平行線をたどっているんだけれど、この本を読んだときなんか完全に科学哲学者の伊勢田先生に共感・同情していたような次第で。

 

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でも『科学哲学へのいざない』を読んで完全に考えが変わったなあ。本書の最後で議論されているように、科学哲学が実際の科学に歩み寄ってさらに議論を深めることによって、実際の科学の倫理的基盤が作られる、ということは確かにあるんじゃないかなあ。そしてそのためには、科学哲学者側だけに歩み寄りを期待するのではなく、科学者側も科学哲学を学んでお互いに協力していく必要があるんだよな。私ももっと勉強しないといけないな・・・。

 

ところでこの本、佐藤直樹先生が2019年に慶應義塾大学で担当なさった「哲学II」の講義を下敷きとして書かれた本だそうで、名前は『科学哲学へのいざない』で入門書風なのだが、いわゆる科学哲学の入門書に書かれているような科学哲学の基本用語や基本的な考え方についての説明は省かれていたりして、科学哲学の一冊目として学生さんにおすすめするのはちょっときついかなと思った(例えば佐藤先生が実際の科学の推論法として最も重要だと書かれている「アブダクション」について、本書中で明確な定義がなされていないとか)。「哲学II」の講義は、サミール・オカーシャの『科学哲学』をベースとして、それに佐藤先生がご自分の考えを資料として大幅追加する形で行われたそうなので、オカーシャの本を読んだあとに読むのがいいのかな。

 

科学哲学 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

科学哲学 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

 

 

未読だったので注文しました。

 

個人的には第9章で某有名科学ジャーナリストの本を徹底的に批判しているところ、毒舌っぷりが佐藤先生らしいなーということと、そのジャーナリストが書いたニセ科学入門書について私自身がかなり批判的な立場ということもあり、にやにやしながら読んでしまった。

 

これな。

 

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